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判断基準のスクラップ&ビルド

私たちは似ているできごとの細かいところをごちゃごちゃにまぜてしまい、特異なできごとに過大な重みを与えてしまう。普通からかけ離れたできごととか普段と違う記憶を私たちは好むのである。そのようなことはよく記憶しているし、それについてはよく語るし、その影響を受けて不適切にも行動がゆがんでしまう。

『誰のためのデザイン?』より


失敗は、その元を辿ればすべて選択の誤りの結果。そもそも選択という行為をしなければ失敗はしない。すべての行動は「するか、しないか」という基本パターンから派生した選択のバリエーションに過ぎない。行くか、行かないか、どれを選ぶか(どれは選ばないか)、どのようにするか(どの方法を選ぶか)、などなど。

選択は、判断基準に基づいて行われる。直面している選択について、対応する判断基準を持ち合わせていない場合は、仕方なく使い古しの判断基準を適用せざるを得ない。

例えば、ストーブの熱さを知らない幼児がストーブに手を触れようとしているとき、彼(彼女)の中には適切な判断基準がない。好奇心のおもむくままに手を出し、そして「熱さ」を知る。判断基準がひとつ増える。以後、熱いストーブには手を出さなくなるだろう。この「特異なできごと」は、親が「触っちゃダメよ」と言葉で言って聞かせるより何千倍も効く。

人は痛い目に遭わなければ、なかなか学習しない。でも、食わず嫌いというのもある。身につけた基準に基づいて「これは食べない方がいい」と判断したとしても、実際に食べてみたら案外うまかった、ということは結構ある。言うまでもなく食わず嫌いはチャンスを逸する。判断基準に基づいて「正しい」選択をしつつ、時には意識的に判断基準から外れる選択をすることで判断基準のスクラップ&ビルドを行っていく必要がある。

そんなわけで、人に「完成」が訪れることはない。

» 誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)