※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

がんばらないほうがうまくいく


大橋悦夫がんばらないほうがうまくいく。

この考え方の難しいところは論理的に説明するのが困難なところ。

「がんばってもうまくいかないのに、がんばらないほうがうまくいくとはどういうことだ?」に反論できない。

でも、ふり返ってみると確かに「がんばらないとき」のほうがうまくいっている。

「成功法則」には再現性はない

そもそも人が「がんばる」とき、多くの場合そこに「がんばるための方法」がある。

  • がんばって過去問を解く
  • がんばって飛び込み営業をかける
  • がんばって毎日英語の勉強をする

いずれも、過去に誰かが実践してうまくいった方法をなぞっている。

つまり、「がんばる」とは「レールから外れないように踏ん張る」という意味になる。

  • もしこの「方法」が間違っていたら?
  • そもそも「合っている」とか「間違っている」という問題ではないとしたら?

利用しているつもりが利用されている

『ブランド・ジーン』という本に以下のようなくだりがある。

さらに1万年前、植物は人間を利用することを思いつく。人間にしてみれば「農業の発明」ということになるが、何のことはない、植物に利用されているだけなのである。広大な森を切り開かせ、農耕地を作らせ、品種改良させ、どんどん進化していった。

人間が植物を利用しているのではなく、まったく逆だった、と。

この主張は『サピエンス全史』にも通じる。

だが、一万年ほど前にすべてが一変した。それは、いくつかの動植物種の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めたときだった。

人間は日の出から日の入りまで、種を蒔き、作物に水をやり、雑草を抜き、青々とした草地にヒツジを連れていった。こうして働けば、より多くの果物や穀物、肉が手に入るだろうと考えてのことだ。

これは人間の暮らし方における革命、すなわち農業革命だった。

(中略)

では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。

犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。

これらの例でいえば、植物の「お気に召すまま」に行動を積み重ねていくことが正解と言える。

一方、行動を積み重ねている人間にとっては、まさか「させられている」とは思っていない。どちらかというと「してやっている」という上から目線まである。

でも、うまくいくときというのは見えざる手の上で「させられている」とき、ではないか。

本人はそれに気づかず「してやったり」の顔をしている。

それゆえ「がんばらない」の意味は、自分でも気づかないうちに、この「させられている」モードにすっぽり入り込んでいる状態だと言える。

うまくいっている本人は「あのとき、あ~したからうまくいった~」などと「成功法則」を語りたがるが、実はたまたま通りかかったところに自分と相性のいいスカウントマンが立っていただけで、タイミングが少しでも異なれば別の人が声をかけられていたかもしれない。

このあたり、昔話の「こぶとりじいさん」に通じる。

方法だけ後からなぞっても、同じ結果が得られるとは限らない。

『ブランド・ジーン』では、このスカウトマンに当たる存在を「ジーン(遺伝子)」と規定することで、今回書いたような主客逆転の仕組みを、さまざまな事例を引きながら解説しており実に興味深い。

思考回路が書き換えられていく快感がある。

関連記事