本を読むときでも、映画を観るときでも、誰かの話を聴くときでも、いわゆるインプットに向き合うときには次の3つのスタンスがあると思う。
- 1.どんな内容なのか
- 2.どんな書き方(描き方、話し方)なのか
- 3.どんなタイミングなのか
1.どんな内容なのか
人から「これ面白いよ」とすすめられて触れるときはだいたいこのスタンスで臨むことが多い。
「どれどれ?」という具合。
例えば、映画を観ようと思ったときは(映画館で観ることはまれで、だいたい配信で観る)、
- タイトル
- タイトルビジュアル
- 出演俳優
- あらすじ
の4つを見て、興味を惹かれたら観ることにしている。
予告編も参考にすることはあるが、上記の4点だけで決断できたら予告編は見ない(つまり、上記4点では決め手に欠けたときに予告編に頼る)。
まぁ、本当は、
- タイトル
- タイトルビジュアル
の2つだけで決めたいところ。
なぜなら、出演俳優を先に見てしまうと「この人は必ず出てくる」という予備知識を持った状態で観始めることになり、楽しみが減ってしまうから。
出演俳優を知らずに観始められれば、「あ、この人が出てるんだ!」というサプライズを楽しめたり、「やっぱりこういうシーンはこの人しかいないよね、ヒヒヒ」と共鳴できたりする。
2.どんな書き方(描き方、話し方)なのか
どんな内容かが分かったら、おのずとこのスタンスに切り替わる。
例えば、
- 今まで敬体だったのに、急に常体に変わったな
- 場合によって使い分けてるのかな?
といった問いが浮かび、この問いが以降の推進力となる。
映画においては、
- なんかこのシーン妙に長いな
- 見落として欲しくない何かがあるのかな?
といった問いが浮かび、この問いがフックとなって後半の回収率が高まる。
個人的には、気に入った映画は続けてもう1度観ることが多いので、2回目はこのスタンスで食い入るように観ることになる。
どんな映画でも2回目を観るたびに、「1回目に観たときはぜんぜん分かっていなかった」ことを痛感させられる。
本も、1回読んで「分かる」ことはその本のごくごく一部の内容か、あるいは勘違いかのいずれかだと思う。
3.どんなタイミングなのか
どんな内容かが分かり、どんな書き方なのかも把握できると、最後はこのスタンスに辿りつく。
「そもそも、なぜ今なのか」という問い。
例えば、
- 監督はずっとこの問題を追いかけてきたんだろうな
- そもそも監督自身が似た境遇で生まれ育ってきていたのか!
- 思えばここ数年アレがあったしソレもあった。だから今、これなんだな
という腹落ちに至る。
この腹落ちを目指して、3回目に突入する。
解像度が一気に上がる。
回を重ねるごとに作り手の目線に近づいていく。
作り手を超えることはもちろんできないが、目指すところはそこではなく、近づいていく過程にある。
繰り返し、スタンスを切り替えながら同じコンテンツに向き合うことで目線はスクリーンを突き抜け、そのメイキングに到達する。
もちろん、実際のメイキングを見ることはできないので、あくまでも想像するだけなのだが、その想像が創造のヒントになる、というより気づいたら創造に変わっている。
だから、DVD特典などでリアルなメイキング映像が用意されていれば、もはや見ないという選択肢はない。
とはいえ、このメイキング映像自体も「作られた」ものであるために、これも繰り返し見ることになる。
事例
以下の記事内容は、今回ご紹介した「3段階」の事例になっている。
「ブログに何を書かないか」をどのようにして決めればいいか? | シゴタノ!
今日、たまたまTwitter経由で目にした写真に興味を惹かれ、その方のInstagramアカウントを知り、その方のインタビュー記事にたどり着き、読み始めたところ、「あぁ、やっぱりそうか」と改めて同意するとともに、同時にやや失意を覚えることがありました。
1.どんな内容なのか
- 今日、たまたまTwitter経由で目にした写真
2.どんな書き方(描き方、話し方)なのか
- 興味を惹かれ、その方のInstagramアカウントを知り、その方のインタビュー記事にたどり着き、読み始めた
3.どんなタイミングなのか
- 「あぁ、やっぱりそうか」と改めて同意するともに、同時にやや失意を覚える
関連記事
「そこにあるもの」をあらしめているのは「そこにないもの」。
発信したければ本を読んで音楽を聴いてテレビを見ればいいワケ | シゴタノ!
読書をしていてよく思うことがあります。やっぱり読書は「アウトプット」です。
日記に書いておけば後から“正確に”思い出すことはできるが… | シゴタノ!
読み返すことで、ふわふわしていた記憶に“正しい”コンテクストが与えられ「Mさんのこの一言はこういう経緯で発せられていたのか!」と不意に鮮明な像が脳裏に蘇る。
新しくPythonを学び始めて思い出したこと | シゴタノ!
結局4年間の在職中に「技研」に配属されることは叶わなかったものの、むしろ叶わなかったからこそ「いつか配属されたい」という目標を持ち続けることができ、プログラミングに夢中になれた。