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日記に書いておけば後から“正確に”思い出すことはできるが…



大橋悦夫昨日の記事でMさんのことを書くにあたってMさんの本名で日記を全文検索した。

この本でも書いているとおり、日記にはその日の会社での出来事に加えて、誰とどんな話をしたのかを覚えている限りその概要や印象に残った一言を記していた。

当然、話した人全員について書き残すことは不可能なので、必然的に「これは書いておきたい」と強く思えた会話のみが日記に残ることになる。

毎晩寝る前に「このまま寝ると今日の記憶のほとんどは失われてしまうことになるけど、どうしても残しておきたいこと、ある?」という、もう一人の自分からの問いかけに答える形で限られた時間を使ってキーを叩く。

そのようにして残した膨大なテキストデータを対象に秀丸のgrep機能で「Mさん」に関する記述を抽出し、一行ずつ読み返していく。

読み返すことで、ふわふわしていた記憶に“正しい”コンテクストが与えられ「Mさんのこの一言はこういう経緯で発せられていたのか!」と不意に鮮明な像が脳裏に蘇る。

『攻殻機動隊 S.A.C Solid State Society』の終盤付近で「こいつの記憶が意味消失する前に電脳に潜る」という少佐のセリフを耳にしたとき、日記を書くことは後から「電脳に潜る」、すなわち“真実”を確かめるための準備と言えるかもしれない、と思い至った。

とはいえ、記録に残したからといって必ずしもそれが“真実”とは限らないことは『インセプション』で「お前に失望した」という父の言葉を誤解していたロバートの姿からも分かる。

すべてを記録に残せない以上、記録に残したことは必然的に強いバイアスとなり、良きにつけ悪しきにつけその後の判断に影響を与えることになる。

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