全60巻に及ぶ横山光輝さんの『三国志』には数々の「名文句」が詰まっています。
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たとえば、
- 「待てあわてるな これは孔明のワナだ」
がそのひとつです。
これを目にしたとたん「クスッ」とした人があるでしょう。
なぜこのセリフに「おかしみ」があるのでしょうか? 少なくとも横山先生はあれを大真面目に描いたのであって、笑いをとるセリフでないことを確実です。
とはいえクスッと笑う人の気持ちも横山さんは理解できるはずです。
読書は「アウトプット」
情報発信の重要性が説かれる時代です。なにしろ安価で容易になりました。学生時代の友人のお子さんは、「お絵描きするところをタイムラプスでとってあげる」のを母の日のプレゼントとしていたくらいです。
読書をしていてよく思うことがあります。やっぱり読書は「アウトプット」です。
私たちは生き物であり、AIがテキストをスキャンニングしているようには、なにかを「取得する」ことなどできっこありません。
AIは「深入りするな! 孔明のワナだ!」を読んで「笑う」とは思えません。
しかし同じ人間でも読者によってはこのセリフの「どこが笑えるのかぜんぜんわからない」というはずです。だからといってその人がこのセリフの「意味」を理解できてないとも言えません。
これは笑えるセリフですか? 笑えるとしたらなぜですか? 笑えない人にも「笑える!」と、納得できるように説明できますか?
私たちは、たとえ同じ絵を目にし、同じ文章を読んでも、違う知覚を「創って」います。
「笑える情報」をインプットするから笑えるのではないはずです。
「笑える光景」を独創的に勝手に創り出し、それに刺激されて「笑う」のです。
あえて「情報発信」というなら、その「創りだした」ものを、できるだけそのまま他人にも伝わるように描き出せばいいだけです。
見るとき、読むとき、聞くとき、すでにアウトプットは完了しています。目が描き出し、脳が書き出し、耳が鳴らし始めなければ、私達はなにひとつ知覚できないのです。
「それはおかしい。私たちは外界から情報を取り込んでいるはずだ」
というのであれば、外界からいっさい情報を得なくても知覚体験ができるのはなぜでしょう?
あなただって、夢で誰かと喋ったことがあるはずです。
夢で聞いた声は、誰が喋った「音声」だったのでしょう? それはインプットでしたか? それともアウトプットでしたか?
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ビジネス書作家、プロブロガー、講演家、心理カウンセラー、情報発信コンサルタントなど、多面的に活動していらっしゃる立花岳志さんとセミナーします。
セミナーは、2部構成でお伝えします。
1部のテーマは時間管理。
佐々木講義、立花講義、そして二人のクロストークを行います。
2部のテーマは情報発信。
こちらも佐々木講義、立花講義、そしてクロストーク。
最後に質疑応答を行う形になります。
私の方はどちらかというと時間管理、立花さんのほうは情報発信。そして
「情報発信とは自己表現」で
「自己表現にまったく興味がないという人は、実はいないのだと思っています」
というのが立花さんの持論です。
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