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「生きた知識」を学ぶための一冊



倉下忠憲最近読んだ新書では一番でした。

» 学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)


タイトル通り、「学び」についての本質をぐっと身近な場所に引き寄せてくれる一冊です。

目次は以下の通り。

第1章 記憶と知識
第2章 知識のシステムを創る──子どもの言語の学習から学ぶ
第3章 乗り越えなければならない壁──誤ったスキームの克服
第4章 学びを極める──熟達するとはどういうことか
第5章 熟達による脳の変化
第6章 「生きた知識」を生む知識観
第7章 超一流の達人になる

知識とそのシステム

もし「学び」が、知識を暗記するものならば、私たち日本人の大半が英語を話せているでしょう。なにせ学校で知識は「教えて」もらっているからです。でも、現実はそうはなっていません。つまり、「学び」の本質は、知識の断片的な暗記にはないわけです。

一方で学校の授業で教えてもらわなくても、私たちは母国語を「覚え」、さらに「使う」ことができます。この母国語の学習にこそ、生きている知識=使える知識の学びの本質があるのではないか、と著者は見ています。そしてその通りでしょう。

重要な指摘は、生きている知識はシステムになっているという点です。ある知識は、他の知識との関連性を持っているのです。

ことばの意味を学ぶということは、一つひとつの単語が指す対象の一つを知るだけでは不十分である。ある単語をきちんと使うためには、その単語が指し示す意味の範囲をしらなければならないからである。しかし、単語の意味の指し示す範囲は、一つの単語それ事態では決まらず、それぞれの単語の境界はその領域に属する他の単語との関係によって決まる。

日本語で「着る」という言葉を(きちんと通るように)使うためには、その動作が「履く」や「かぶる」ではないことを知らなければいけません。逆に言えば、私たちがある動作を「着る」と呼び、別の動作を「履く」と呼ぶのは、それらに区別が付いているからで、それはつまりこの二つの言葉に境界線を持っているからでもあります。

ここには知識同士の関係性が見受けられます。それをシステムとして見てもよいでしょう。このシステムの構築は、単に二つの単語を暗記したのとはまったく違っています。

スキーマのメリット・デメリット

そうした知識の関係性が心の内側にできれば、言葉は意識しなくても使えるようになるわけで、それを「スキーマ」と呼んだりもします。この「スキーマ」の成立が学びには欠かせません。

「学ぶ」ということは、あることに熟達し、達人の道を歩んでいくことである。その道を歩んでいく上で、スキーマを作ることは欠かせない。たとえ誤っていても、知識のシステムを素早く立ち上げるためにスキーマを作る。しかし、スキーマが誤っている場合には、その誤ったスキーマを乗り越え、新たなスキーマをつくり直す過程を踏まなければならない。

私の甥っ子は、一定以上の速度で移動する物体をすべて「でんしゃ」と呼んでいた時期がありました。彼の中で、そういうスキーマが成立していたのでしょう。しかしこれは誤ったスキーマです。時間が経つにつれ、彼はある物は自動車であり、ある物は飛行機であると徐々に学んでいきました。スキーマが修正されていったわけです。

ここには恐ろしいほど大切なことが含まれています。

私たちが世界を眺めるとき、必ず何かしらのスキーマが働きます。スキーマが認知を支えるのです。効率化もしてくれます。が、そのスキーマは甥っ子が自動車を「でんしゃ」と呼んだように、一つの「思い込み」、よく言えば仮説でしかありません。もし、それが現実とずれているなら、スキーマの方を修正する必要があるのです。

でも、スキーマが認知を支えている以上、実はそれは大変難しいことでもあります。

私たちはときどき、現実の方をずれていると感じます。間違っているのは現実であることにして、スキーマを守ろうとするのです。子どもはむしろ、スキーマの修正に意欲的ですらあるでしょう。大人は、スキーマが自我やその副産物にまとわりつくので、修正がよりいっそう難しくなってきます。

そして、子どもが日本語の文法を自ら「推測」し「発見」するように、生きた知識(知識のシステム)の構築にも同じような行為が欠かせません。

さいごに

もし暗記型教育に何か問題があるとすれば、それは「推測」や「発見」を評価する制度がないこと、あるいはときにそうした行為を阻害してしまうことにあるでしょう。こうした状況では生きた知識は生まれようもありません。本来は「推測」や「発見」を促す何かが必要なはずです。

ただし、そうして「推測」され「発見」されたスキーマは、その段階では「思い込み」です。よって、それを修正していく過程もまた必要となります。

このような過程をすべて「非効率」と割り切ってしまい、「効率的」に学ぼうとすれば、生まれるのははたしてどんな知識でしょうか。

その他いろいろ考える示唆に富んだ一冊ですので、「学び」や「知識」に興味がある方ならぜひご一読ください。

» 学びとは何か――〈探究人〉になるために (岩波新書)


▼編集後記:
倉下忠憲



真っ黒い雲がずっと頭上に立ちこめているような一週間でした。ええ、原稿が進んでいないのです。でも、ようやく晴れの兆しが見えてきたので、このタイミングで全力で櫓を漕ぎたいと思います。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。


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