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記録とふり返りが“視力”を取り戻すカギになる

前述したように、私たちにはさまざまな役割があります。そこで、それぞれを自己採点してみましょう。私なら、次のような点数がつきます。

  • 働いている自分 …… 70点
  • 夫としての自分 …… 50点
  • 息子としての自分 …… 40点
  • 日本国民としての自分 …… 60点

では、それらの役割の真ん中にある、「ありのままの自分」は何点でしょうか? そう、誰もが皆、ありのままの自分はまちがいなく「100点」なのです。

ここを「60点」「70点」と、100点以下で考えている人は、今すぐ「100点」と思い直しましょう。ありのままの自分が欠けている人なんていないのですから。



日々起こる出来事や去来する思考や感情を記録に残し、これをふり返る毎日を過ごしていると、それをしていなかった時よりも格段に“視力”がアップする。

記憶は思考や感情によって知らず知らずのうちに歪められてしまうことがあるが、記録はそれ自体は変化しない。

何が記録に残されるかは、何を記憶してきたかによって決まる。記録は記憶の支配から免れることはできない。

逆に言えば、すでに思い出せなくなっている記憶にも「記録をしたい」と思える対象を通して、あるいはそのようにして残された記録を通して、バイパスを通すことができる。

何を記録に残して、何を記録に残していないかがわかれば、「思い出せなくなっている記憶」のしっぽをつかむことができる。

これが「ありのままの自分」の実体ではないか、と僕は考えている。

記録とふり返りを通して、「ありのままの自分」に肉薄していくプロセスは、年を重ねる中で少しずつ失ってきた“視力”を回復する道程でもある。