今回は27を。書籍ではなく論文ですが、「コンピュータを使った知的生産」を考える上では外せない論考です。
『As We May Think』
『As We May Think』は、ヴァネヴァー・ブッシュによる1945年の論文です。『思想としてのパソコン』という書籍にも収録されており、山形浩生さんによる翻訳も以下のページから読めます。
ブッシュ『as we may think』 – 山形浩生の「経済のトリセツ」
簡単に要約しておきましょう。
現代では科学情報が大量に増えていて個人の処理能力をはるかに越えてしまっている。しかも、役立たずの情報が増えているのではなく、役立つ情報が増えている。そうした情報処理のボトルネックを改善していかない限り、大きな進歩は望めない。
人間が行う情報処理は反復的な思考と創造的な思考があり、後者についてはコンピュータで代替するのは難しいが前者はむしろコンピュータが得意とすることであり、その領域をどんどん広げていけば効率化が達成されるだろう。
たとえば記録の扱い方に関して、一つのアイデアがある。「検索」を主軸とした方式だ。その方式を担う機械を仮に「メメックス」と呼ぶとする。このメメックスは、インデックスのような階層構造の案内ではなく、関連性によって情報をたぐり寄せることができる。その性質は、人間の脳の(記憶の)働き方に近い。そうした方向性を強化していくことで、私たちの脳は、たくさんの情報をもっと効果的に使えるようになるのではないか。
情報が増えすぎている問題
「知的生産の技術」として注目したいのは、もちろんこの「メメックス」構想です。実は、前回紹介した『ライフログのすすめ』においても主要な概念となっています。
個人が必要とする情報をすべて保存し、それらを瞬時に引き出せる「個人データベース」。そうしたものがデジタル時代における武器になりうる。
これは2010年頃、つまりクラウドツールが普及しはじめ、ストレージの価格が安くなってきた頃合いから夢見られていたビジョンです。
しかしながら、2020年代においてそこまでの「個人データベース」は成立していませんし、むしろそれを夢見て挫折した人の方が多いくらいでしょう。そこにはどんな問題があったのでしょうか。
一つには、ヴァネヴァー・ブッシュが想定していた「メメックス」には、有益な情報しか入っていなかった点があります。有益な情報でも山のようにあるし、その扱いをどうするのかという問題意識が冒頭で語られていることからもそれは容易に推測できます。
一方で、2010年頃から進んでいた「私たちのライフログ」は、「ともかく、なんでも、デジタルで保存する」というものでした。当然そこには有益さを持たない情報がたくさん含まれることになります。つまり、玉石混交の比率がまったく違っているのです。
個人用の未来装置を考えて見よう。これは一種の機械化されたファイル兼図書館だ。名前が必要だから、いい加減に「メメックス」と読んでおけば用が足りる。メメックスは個人が自分の本、記録、通信すべてを保存する装置で、機械化されていて驚くほどの速度と柔軟性で参照できる。それは彼の記憶の拡大した密接な補助物なのだ。
この文章において、ブッシュは「通信」に含まれるものとして、インターネットショップから送られてくる不要なメールはまったく想像していなかったでしょう。一方で、現代の私たちに送られてくる情報の多くがそうしたものです。ここに大きなギャップがあります。
また、逆の方向として、メメックスには「本」が収納されています。たしかに自分のライブラリなのですから本が入っているのは当然でしょう。一方で、現代のノートツールで「本」をそのまま取りこめるものはどれだけあるでしょうか。(主に著作権の理由から)電子書籍では、せいぜい引用や自分のメモを取りこめるくらいです。「有益な情報」の大部分が自分のライブラリには入ってこないのです。
この段階で「メメックス」構想は大きく破綻しています。一つの夢物語に留まっているのです。
関連によって
一方で、ブッシュの問題意識は実に適切でした。彼は、記録がうまく使えない理由を以下のように述べています。
人がなかなか記録に到達できないのは、索引体系の不自然さから生じている。どんなデータでも保存されると、アルファベット順や数字順に並べられ、情報を見つけるには(見つかればの話だが) それは分類からどんどん下位の分類に下ることになる。それは(複製を使わない限り)たった一つの場所にしかない。どの経路がそれを見つけられるかについてはルールがなければならず、そのルールは面倒なものだ。さらに、一つのアイテムを見つけたら、システムから出てきて、またもや新しい経路に入り直さねばならない。
一昔前の情報ツールはだいたい同じ問題を抱えていました。階層構造で分類を管理していたのです。たしかにそれは、整理した瞬間はすっきりするものですが、時間が経つにつれ機能不全に陥っていきます。長期的に記録を蓄積していくツールとしては致命的です。
では、どうすればいいのか。ブッシュは提案します。
人間の心はそういうふうに機能しない。関連性によって機能する。一つのアイテムをつかんだら、思考の関連性から示唆される次のアイテムに即座にパチッと切り替わる。それは脳細胞が運ぶ何やら複雑な道筋の網目に従ったものだ。もちろん他の特性もある。あまりしょっちゅうたどられない道筋はだんだん薄れてしまうし、アイテムは完全に永続的ではなく、記憶は移ろいやすい。だが行動の速度、道筋の入念性、心的な図式の詳細は、自然の他のあらゆるものにも増して畏敬の念を抱かせるものだ。
関連性によるアイテム(項目)の接続。これがブッシュが示した道であり、私たちが日常的に使っている「ハイパーリンク」という機能であり、現代でネットワーキング・ノートツールと呼ばれるアプリケーションが支援している方向性でもあります。
たとえば、Scrapboxはまさにこの方式によって(この方式のみによって)情報へのアクセスを確立しています。ブッシュの考えは、理論だけでなく、実践に耐えうるものなのです。
関連・即・接続
この「リンク」はどのように実装されるのが望ましいのでしょうか。
関連づけた索引というのは、どんな項目であれ、好きな時に即座かつ自動的に他の項目を選択するようにできる、という発想だ。これがメメックスの本質的な特徴となる。二つの項目を結びつけるプロセスこそが重要なのだ。
「どんな項目であれ、好きな時に即座かつ自動的に他の項目を選択するようにできる」
たいへん重要な指摘です。関連づけの操作は「好きな時」に「即座」かつ「自動的」に行えなければなりません。ツールに関連づけの機能があっても、その要件を満たしていないと十分とは言えないのです。
たとえばEvernoteには「ノートリンク」という機能がありますが、残念ながらこの機能は上記の要件を満たしているとは言えません。あるノートを記述しているときに別のノートへのリンクをそこに貼りたくなっても、「よっこらしょ」と対象のノートを検索し、ノートリンクを取得してから、もとのノートに「返ってくる」必要があります。
上で引用した文章をもう一度引いておきます。
「一つのアイテムを見つけたら、システムから出てきて、またもや新しい経路に入り直さねばならない」
まさにこれを行っているのです。これでは使用に耐えうるはずがありません。
一方でScrapboxであれば、ページの記述中にリンクを挿入したくなったら、開きブラケットを入力し、それっぽい言葉を入力して、サジェストから項目を探すだけで済みます。ここには「移動」の要素がまったくありません。上記の言い方を引き継げば「システム」から出る必要がないのです。
これは本当に劇的な体験です。項目の総数が目視で対応できる100や200程度であればほとんど実感されないでしょうが、5000を越える(あるいはもっと多い)状態のとき、システムから移動することなく、そのまま関連づけが行えることは快適であるだけでなく、ほとんど必須とも呼べる機能と言えます。
つまり、私たちはようやくヴァネヴァー・ブッシュが見出した問題を(完全ではないにせよ)解決しえるツールを手にしはじめているのです。言い換えれば、私たちのデジタル知的生産はようやくこれから本番がスタートする、ということです。
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本文中でも書きましたが、一番のネックは「本」なのです。論文ならPDFで取りこめるのですが、電子書籍はストアアプリのみで閲覧できることが大半なので、そのまま自分のライブラリに取り込むことができません。これを解決できたら、より大きな変化が生まれることでしょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。