今回は097から099まで。いよいよ大詰めです。今回は「生活」や「生き方」に関する3冊を。
- 『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』 (2016)
- 『知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略』(2018)
- 『考える生き方』(2013)
『これからのエリック・ホッファーのために』
エリック・ホッファーは在野の哲学者です。仕事の合間に図書館に通い、さまざまな事柄を独学で勉強した人物として知られています。
「知的生産」という仰々しい言葉を聞くと、アカデミックな職業についている人だけの行為だと思いがちですが、そういうわけでもありません。大工仕事も日曜大工がありますし、プロのミュージシャンでなくても音楽と共に生活をしている人は多いでしょう。知的生産もまた、そういった関係を育める行為です。
本書は実際の在野研究者たちの人生を追いかけながら、そこにある「在野研究の心得」を見出していこうとする一冊です。どれもこれも「普通の人生」とは言えません。しかし、「普通の人生って何だ?」というそもそもな疑問もあります。自分が強く興味・関心を持つ対象があるならば、それに人生を賭けてみる(かなりオッズが悪くても)というのも一つの選択肢ではあるでしょう。
かりにその賭けに勝てなくても(そもそも人生では皆が最後に負けるものです)、道行きの最中はきっと楽しいものになるでしょう。
『知的生活の設計』
知的生産は、一回きりの行為ではなく、継続的な営みにおいて行われます。その意味でそれは「知的生活」と対の存在とも言えるでしょう。知的生産をしない知的生活はあるかもしれませんが、知的生活をしない知的生産は存在しない。そんな風にも言えそうです。
本連載で紹介してきたさまざまな「技術」も、単に知識として貯えておくだけでなく、自分の人生というパッケージの中に組み込む必要があります。何を為すのか、どう為すのかを「設計」する必要があるのです。
現代はデジタルツールとインターネットの普及によって、情報処理に関しては圧倒的にやりやすくなりました。ツールの選択肢も爆発的に増えています。設計の自由度は上がっていると言えるでしょう。
一方で、そうした環境は私たちを「急かす」性質も持っています。その性質に身を委ねているだけでは、落ち着いて考える時間を持つことも、骨太の論理を追いかけることもできなくなってしまいます。頭を働かせることができないわけです。だからこそ、主体的な「設計」の重要性が増しているとも言えます。
本書の副題にある「10年後の自分」というコンセプトは、刹那的な瞬間を最大化しようとする現在の傾向とは相容れないものですが、知的生産/知的生活には欠かせない考え方と言えます。自分の考えを(あるいは自分そのものを)常に未完成なものとして捉えて、先を見据えて進んでいく。旧来の教養主義的な考え方かもしれませんが、「未来」というのはそうしてつくっていく(make/design)ものではないかと思います。
『考える生き方』
本書は、カテゴリとしては「技術書・ノウハウ書」ではありません。一方で本書は、知的生産-知的生活の実際例を提示してくれる一冊とも言えます。在野的な「知的」な生活のあり方。それがタイトルが示す「考える生き方」でしょう。
一番素朴に言えば、「知的」とは「考える」ことです。つまり知的生活とは考える生活です。何事かについて考えながら生きていくこと。自分で考えて、自分で答えを出す。そういうことを当たり前の行為として受け入れること。
もちろん、人間の素の「考える」なんて貧弱なものです。読んだり書いたりすることは、そのトレーニングとも言えます。だからこそ、読んだり書いたりすることは楽しく充実している反面、苦しかったりもするわけです。
しかしながらそのトレーニングは、「賢く」なるためにするものではありません。別の言い方をすれば、他者に自分の知性を誇るためではありません。そうではなく、「考える生活」を営むために行うのです。自分が行う「考える」を(ある程度は)納得いく形にするため。その意味で、非常に閉じた自己満足なのかもしれません。
とは言え、その「考える」は読んだり書いたりしながら、つまりは定期的に開きながら行われます。閉じながらも開いていること。そういうアンビバレントな性質こそが「考える」ために、引いては知的生産のために必要なのでしょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。