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カードは分類しない その2



倉下忠憲前回の記事では梅棹のカード法における「カードは、分類しない」を検討しました。

カードを既存の分類軸に配置してそれで満足するのではなく、既存の分類軸を飛び越えるつながりを生み出したり、新しい分類軸を生み出すような発想を促すことがカードを使うことの最大のメリットだったわけです。

では、Evergreen Notesではどうなっているでしょうか。

  • Evergreen notes should be atomic
  • Evergreen notes should be concept-oriented
  • Evergreen notes should be densely linked
  • Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies

今回は原則の4つ目である「Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies」を見ていきましょう。

文の意味

「Prefer A to B」で、BよりもAを好む、といった意味になります。つまり、Evergreen Notesでは、「hierarchical taxonomies」よりも、「associative ontologies」が好ましい、といったニュアンスになるでしょう。

では、「hierarchical taxonomies」と「associative ontologies」とは何でしょうか。

「hierarchical」は、階層制の, 階級制度の、であり、「taxonomies」は、分類(法)、を意味します。ざっとまとめると階層的分類になるでしょう。

一方で「associative」は、連想の[による], 連合の、であり、「ontologies」は、若干難しいですが、存在論あるいはそのままオントロジーという意味で、オントロジーは知識工学の用語で「エキスパート・システムを構築する際に用いられる知識表現の語彙または基本となる概念の体系」を意味します。

後者がかなり掴みにくいですが、少なくともこの二つが対立的に語られていることは間違いありません。つまり、「associative ontologies」とは、階層的分類ではない何か、というヒントはあります。

オントロジー

エキスパート・システムについて考えてみましょう。たとえば歴戦の熟練工がいるとして、彼(あるいは彼女)はさまざまな技能と知識を有しているでしょう。必要に応じて適切な技能と知識が引き出され、問題解決にあたる姿は驚嘆すべきものがあります。

一方、その熟練工に「じゃあ、あなたの知識をまとめた本を書いてください」とお願いしたら、きっと彼(あるいは彼女)はひどく困惑するでしょう。自分の頭の中をどれだけ精査しても、理路整然とした分類など見つからないのですから。少なくとも、その時点で階層的に分類された知識構造がそこにあるとは思えません。むしろ彼らはそんなものを介さずに、技能や知識を使えていること自体が、彼らを熟練工たらしめているのです。

おそらく彼らの頭の中には、「こうなったら、こうする」というパターンと、「これはあれと関係している」という情報的つながりがあり、その全体によって構成されるネットワークが、「必要に応じて適切な技能と知識」を引き出す手助けをしているのでしょう。

Evergreen Notesが目指すのもその状態です。情報を階層構造によって分類しようとするのではなく、熟練工が行っているような「必要に応じて適切な技能と知識」を引き出せるようになることを目指すのです。

熟練工への道

では、どうすればそうした状態に至れるでしょうか。完璧な道のりはデザインできませんが、一つ言えることはあります。それは、事前に体系的な知識を丸暗記することで熟練工になる、なんてことはありえない、ということです。そうではなく、さまざまな実践とそこから生まれるフィードバックを繰り返すことで、小さく知識を固めると共に、その知識が実践的に他の知識とどう関係していくのかを学んでいくのがよくある道のりでしょう。

プログラマー界隈では少し説明を聞いただけで「完全に理解した」と言う冗談がありますが、プログラミングの入門書を頭から終わりまで読んだだけで、プログラミングの「熟練工」になれることはありません。本当に愚直な話ですが、自分で手を動かしてコードを書いていき、発生する大量のエラーを少しずつ自分の手で書き直していく過程で、その人の頭の中に「プログラミングの知識体系」が構築されていくのです。

それらの体系は、「結果として体系的」になります。もしそうなっていなければ、個々の知識が分断的・孤立的に存在しているということであり、それでは熟練工とはとても呼べません。パターンを見極め、知識を応用でき、未知の自体であっても、なんとか「あたり」をつけて問題解決に至れるようになるには、知識群は「体系的」にまとまっている必要があるのです。

しかしそれは、常に「結果として」です。自分の頭の中の体系は、実践を通した後でしか構築できません。自分の頭の外にどれだけ綺麗な体系があったとしても、「それはそれこれはこれ」な話なのです。

Evergreen Notesでも同様です。事前によくある分類を作って、そこに知識や情報を配置していくのではなく、「自分の頭の中の体系」を「結果として」作るように、使っていくのです。

だからこそ、他の3つの原理が重要となります。情報をatomicにしたり、 concept-orientedにしたりするためには、その情報について自分の「あたまを働かせる」必要があります。そこで知識の「実践」が行われるのです。また、densely linkedにするために、情報同士のつながりについても「あたまを働かせる」ことが欠かせません。それを繰り返すことで、情報のネットワークが太くなっていきます。もっと言えば、自分の頭の中にある体系が育っていくのです。

同じもの、違う点

こうして見てみると、「Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies」という原則も、カード法の「カードは分類しない」とほとんど同じコンセプトだということが見えてきます。

ただ一点、梅棹忠夫は「分類」をかなり強めに否定しましたが、Evergreen Notesでは「Prefer」を用いて「BよりもAを好む」と柔らかめな主張になっています。ここに違いがあるのです。

その違いは、どこから生まれるのでしょうか。一つには、梅棹は優れた「アジテーター」であったので、レトリックとして強い表現を使った可能性があります。これは否定はできないでしょう。

一方で、その違いは梅棹のカード法とEvergreen Notesにある、見えない違いと関係している可能性もあります。私はこちらを支持しています。

では、この「見えない違い」とは何か。それについては次回検討しましょう。

(次回につづく)

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▼編集後記:
倉下忠憲




次の新刊の校正とかーそる第四号の編集と『Re:vision』の書籍化の作業を進めております。うまくいけば、雨後の筍みたいにポコポコ連続で本が出されるかもしれません。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中