さて、もう一度、Evergreen Notesと梅棹のカード法の原則を振り返っておきましょう。
Evergreen Notes
- Evergreen notes should be atomic
- Evergreen notes should be concept-oriented
- Evergreen notes should be densely linked
- Prefer associative ontologies to hierarchical taxonomies
梅棹のカード法
- 「カードは、豆論文である」
- 「カードは、一枚に一つのことを書く」
- 「カードは、何度もくる」
- 「カードは、分類しない」
ここまでの連載では、それぞれの上2行について検討してきました。
一枚のカードに「一つのこと」を書くようにすることは、その「一つのこと」を明らかにするという意味で、concept-orientedでありますし、また atomicであることも意味します。
その「一つのこと」を、他の人にもわかるように書く(=豆論文)ならば、よりいっそうその特徴は強まります。
では、3行目はどうでしょうか。今回検討するのはその点です。
リンクは密に
「Evergreen notes should be densely linked」の「densely」は、
濃く、密集して、入り込んで
という意味を持ちます。
Evergreen notesでは、濃く、密集し、入り組んでリンクされているのが望ましいというわけです。
ここでただちに付け加える必要があるのですが、これは「リンクが多ければ多いほど良い」という意味ではありません。この点を誤解すると、デジタルツールでのリンクの付け方を誤ってしまいます。なんでもかんでもやたらめったらリンクを増やすことが正解だと思ってしまうのです。
しかしそれは、リンク的ノイズを増やす結果にしかなりません。鬱陶しいSEOが、自作自演で多重にリンクを張ってページランクを誤魔化すのと同じようなことが起きます。特に重要でもないページが、たくさんのリンクを持っていても意味がないでしょう。結果としてリンクが多いページが出てくるのと、作為的にリンクを増やしまくることは分けて考えておきましょう。
別の言い方をすれば、そのページがナチュラルに持つリンクをdenselyにつけていけばいいのです。
converge
では、どのようにすればそうしたリンクが確立できるでしょうか。
前回紹介したように、自分の着想を解剖的にカードに分割して書けば、それらのカードは多重なリンクを持つようになります。
これらは十全にdenselyとは言えないまでも、単一にグループにまとめられているよりは「入り組んだ」リンク構造を持っていると言えるでしょう。
この「単にグループ化された状態」から「多重なリンクを持つ状態」への移行を、仮にconvergeと呼ぶならば、そのconvergeを生み出していく作業こそが、「Evergreen notes should be densely linked」を目指すために必要な知的行為だと言えます。
そこで活きるのが、「カードは、何度もくる」です。
カードをくる意味
梅棹は、『知的生産の技術』で「カードをくること」の重要性を何度も強調しています。
カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。
カードを活用するとはどういうことか。それは、カードを操作して、知的生産の作業をおこなうということである。
カード・ボックスにいれて、図書カードをくるように、くりかえしくるものである。
梅棹は、カードを「忘れるために」書くと述べました。カードに書き、いったん忘れてから、再びカードと出会い直すこと。それが「くる」ことの意味です。
この「いったん忘れること」は、思いついたときに自分に付随していた文脈をリセットする効果があり、そのようにリフレッシュしてからカードを再会すると、そのときには思いつかなかったような連想が生まれてきます。新しいリンクが生まれるのです。
さらに言えば、この行為は何度も同じカードを見返すことも意味します。一つの着想について、何度も「新しいリンク」がないかを探す行為なのです。
そのようにカードをくり、新しい着想の出会いの中で生まれるリンクを書き足していけばどうなるでしょうか。もちろん、convergeが起こるわけです。
単なるリンクでは意味がない
上記のように、「Evergreen notes should be densely linked」と「カードは、何度もくる」はお互いを補完し合っています。
一枚のカードを書いたときに、そのすべての潜在的リンクをつなげることが、「Evergreen notes should be densely linked」に至る道ではありません。そもそもそんなことは不可能です。何か新しいことを思いついたときに、それまで見えていなかった別のつながりが浮かび上がってくることがあるからです。よって、リンクの探索は常に「過去に向けて」も行われなければなりません。それを実現するのが「カードをくる」ことなのです。
カードに書いて放置しておくのではなく、時間が経った後でもそれについて再び考えられるようにし、また実際に考える活動を行っていくこと。その補助としてリンクをつけくわえていくこと。この活動の総体が重要であって、それを無視して単にデジタルリンクを付け加えていくだけでは(見た目は楽しいでしょうが)、実りある活動にはなりません。
実際私も、この記事を書くために「カードをくる」ことについて自分のノートを読み返し、新しいリンクをつけくわえました。
サイドにある編集日時をご覧頂くとわかりますが、「Evergreen Notesうんちゃら」の部分はつい最近書き加えたものです。そして、このページ自体は3年前に作成しました。
これが、「カードをくること」です。
デジタル時代では、この知的活動が抜群にやりやすくなっていることがおわかりいただけるでしょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。