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カードに「一つのことを書く」の実際例



倉下忠憲前回は「AB」の認知を「A・B」に分けて書くことの重要性を確認しました。

かなり抽象的な話だったので、中身が捉えづらかったかもしれません。そこで今回は、実際の「カード書き」を見ながら、それがどのような知的操作であるのかを確認してみましょう。

処理前の着想

まず、思いついたことを「そのまま」書きます。普段はテキストファイルにメモしているのですが、サイズ感がわかりやすいので今回は紙片に手書きしてみました。

これは「一つのこと」でしょうか。もちろん、違います。かなり雑多ものが混じっています。でも、私が思いついたそのときは、だいたいこんなことを考えていたのです。だからまず、それを書き下ろしました。書き下ろすことは外部化であり、外部化を通さないと知的処理が難しいからです。

言い換えれば、こうして書き出したものは知的処理を行う前の「素材そのもの」です。その「素材そのもの」をカードに書くことが、「一つのことを書く」ではない、ことをまず確認しておきましょう。

タイトルは付けがたい

この「素材そのもの」の状態では、たとえばタイトルをつけることも難しいものです。候補はいろいろあるのですが、どれも決定的とは言い難い感覚があります。たとえば以下のようなものが思いつきます。

  • 広い家に住みたい欲求が行き着く場所
  • 王国にも王城がある
  • 人は自分の場所を作る
  • 人には限定が必要

なんとなくそれっぽく、それでいてちょっと違う感覚が拭えません。それで構いません。それが正常です。むしろ、それが正常だからこそ、「一つのことを書く」ようにするのです。

上のように着想について一つのタイトルを付けがたい状況とは、「AB」のように複数のものが重なっていて(認知的に)分離できていないことを示しています。それを──魚に包丁を入れるように──切り分けていくのが、カード書きで行われる作業であり、そこで起きる知的処理こそが自分の着想を一つひとつ固めていくプロセスなのです。

自然な着想では融合しているものを、意識的に切り離す作業なのですから、これは結構頭を使います。苦労するのです。

「カード法」において、まず認識しておいてもらいたいのはこのことです。

  • 「カードに一つのことを書くのは、知的に苦労する」

たまに「カードには一つのことを書きましょう。はい次」という感じであっさり紹介されている「一つのカードには、一つのことを書く」という原則ですが、実際は簡単な──つまり知的な苦労さを必要としない──行為ではありません。かなり頭を使う行為なのです。

逆に言えば、この作業が何も苦労しないものであるならば、カード書きは単なる備忘録の作成と変わらなくなってきます。単なる備忘録をいくら増やしても、それで知的生産が深まるとはとても思えません。むしろ、カード書きにおいてごく小さい知的苦労を発生させるからこそ、私たちの知的生産は進んでいくのです。

その点を踏まえて、上記の着想を「処理」していきましょう。

カード化の作業

まず、明確に「一つのこと」だとわかるのが「王国にも王城がある」なので、これをカード化します。そして、「もっと、もっと」と書いた部分を補足するために、「“もっと”は際限なく拡大していく」というカードも作ります。

それら二つをカード化すると、「地球を所有しても自分の家は必要」というタイトルを思いつき、ここには元となる着想の大部分を入れられそうな気がしてきます。次いで、「自分の場所」というタイトルのカードを作り、どんな場所が自分の場所だと言えるのかについての新しい考察を書き込みます。それを書いているうちに「ホームレスの人たちが持っているもの、持っていないもの」という着想も浮かんできたので、それもカードにします。

そうしたもろもろを書き終えた上で、改めて考えた後に「人間は有限化を必要とする」というカードを作りました。これで、だいたいの処理は終わったように感じます。



認知的に分かれた状態

上記のように、それぞれ「一つのこと」が書かれたカードが生まれたわけですが、その背後には最初の着想があり、その着想の中でこれらのカードはリンクを形成しています。残念ながらこれはアナログの情報カードなのでそのつながりを視覚的に示すことも、ハイパーリンクでつなぐこともできませんが、しかし情報的に(あるいは私の脳内ネットワークの中では)それらは繋がっています。これが前回書いた「A・B」という認識の状態に移行した、ということの意味です。

こうして、「一つのこと」としてカード化しておけば、この着想のグループの外にも個々のカードはつながりを生みだしていけるようになります。きっと「人間は有限化を必要とする」は、別の着想でも参照されるでしょうし、「自分の場所」も何か新しいつながりが生まれそうな予感を覚えます。

考察は深まり、アイデアは広がり、そして新たな着想が呼び込まれることが、このカード化処理において起きています。その処理こそが、知的生産においては重要なわけです。

さいごに

「一つのこと」として書くようにすると、むしろそれが広がりを持つようになる。逆説的なようですが、その具体的な事例は今回確認しました。自分の脳内のネットワークを広げていくために、ノード一つひとつを確立していくことが有用だ、ということです。

梅棹のカード法や、Evergreen Notesで目指していく行為もまた、上記のような知的処理です。このように小さく頭を使うことをたくさん、あるいは多重に行うことで、ネットワークは太く、密に成長していきます。

そういうプロセスを忘れないでください。カードをたくさん書けばそれでいいわけではないのです。

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▼編集後記:
倉下忠憲




新刊は7月の後半に発売になりそうです。とりあえず6月はゲラの直しを頑張ります。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中