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デジタルノートとしてのアウトライナー1



倉下忠憲拙著『すべてはノートからはじまる』では、自分のために記録が残せるあらゆるツールを「ノート」と位置づけました。

デジタル・アナログは関係なく、「ノート」として意識されているかも超越して、書き留めることができるなら、それはノートというわけです。

そのように位置づけると、アウトライナーというツールも立派なノートツールになります。もう少し言えば、デジタルノート・ツールです。デジタルならではのノートの取り方を支援してくれるツール、というわけです。

とは言え、アウトライナーはツールのジャンル名(カテゴリ名)なので、具体的なツールはさまざまあります。最近の有名どころでは、WorkFlowyとDynalistがありますが、その二つだけではありません。

たとえば、「私的アウトライナーガイド」というページを見ると、たくさんのアウトライナーが紹介されています。

これらのアウトライナーはそれぞれに特徴を持っており、使い勝手はさまざまですが、ここではそうした細かい差異には触れません。あくまで、全体的な話に限定します。

その上で、アウトライナーのデジタルノート性について考えてみましょう。

アウトライナーはアウトラインを作るツールではない

「アウトライナー」は、名前からすると「アウトライン」を作るツールなのかと思われるかもしれませんが、別段そういうわけではありません。アウトラインを作ることもできますが、それ以外のこともできます。むしろ、「それ以外のこと」の方がずっと広いかもしれません。

ここで問題になるのは「アウトライン」という言葉が指し示すイメージです。ある程度文章作成のノウハウに親しんでいる人ならば、「アウトライン」と聞けば以下のようなものをイメージするでしょう。

これは間違いなく「アウトライン」です。で、こういうものを作成するためだけのツールではない、というのがここでのポイントです。

たしかにこうした「アウトライン」を作るときにアウトライナーは爆発的に活躍してくれますが、「そのためだけのツール」だとするならば、論文の執筆にしか使えないことになります。ショボくはないですが、活躍の場は限定的でしょう。

でも、そうではないのです。むしろ、上記のようなものを作るためにはある種の知的プロセスを走らせる必要があり(頭を使う、ということです)、その知的プロセスは論文執筆以外の場面でもごく普通に使われており、その全体においてアウトライナーは補助ツールとして活躍してくれる、ということです。

論文の執筆(もっと言えば文章の執筆)に役立つからといって、そのためだけのツールとして捉える必要はありません。そこで働いている知的プロセスが発揮される場面なら、どこにだって活躍の場がある。それがアウトライナーというツールのノート性です。

認識の改め

ですので、まず「アウトライン」という言葉を一旦捨てましょう。もっと言えば、その言葉から喚起されるイメージを捨てましょう。特に、最初に提示した論文の「アウトライン」を思い浮かべる人ほど意識的にそうした方が良いです。それらは全体のごく一部でしかないので、そこに囚われていると情報の全体像を見失ってしまいます。

  • アウトライナーは、アウトラインを作るため(だけ)のツールではない。

まず、この認識がスタートになります。

さいごに

では、何に使えるツールなのでしょうか。

簡単に言えば「何にでも使えるツール」なのですが、さすがにそれは漠然としすぎた答えでしょう。では、ともう少しひねってみると「思考に使えるツール」なのですが、結局「思考」という行為もまた漠然としているので、あまり変わっていません。

でもまあ、現状はそのくらいの理解でよいと思います。あんまり、キリキリに絞り込んでも良いことはありません。尖らせた剣は折れやすく、満員電車は息苦しいものです。まずは、

  • 「広い使い方ができること」
  • 「思考という行為に関係していること」

この二点だけを確認しておけば十分でしょう。

その上で、次回は実際にどんな使い方ができるのかを検討してみます。

(次回につづく)

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