タイトルだけで十分ですが、本当にこれがすべてだと最近実感しています。そもそも「午前中」という言葉はあっても「午後中」という言葉はあまり聞かないので。
最近の午前中は以下のような過ごし方です。
- 起床(睡眠時間記録、検温、体重測定、前日の日記レビュー) 20分前後
- 朝食(豆乳+プロテイン、バナナ1本) 10分
- イラストを描く(iPad Pro 10.5+Apple Pencil) 20分前後
- 読書(紙の本、Kindleアプリ) 5~30分
- Evernoteレビュー(ブログ記事ねたを決める) 5~15分
- ブログ記事を書く(この記事のようなイラスト入りの記事) 25~45分
午前中という「枠」は実に効き目がある
起床からブログ記事を書くところまでは連続しています。
早く起きた日は「読書」や「Evernoteレビュー」の時間が増え、11時過ぎあたりから「ブログ記事を書く」を開始し12時過ぎまでに完了します。 ← この一文を書いたのは、2019/09/01(日) 11:47です。
午前中に外出する日は早めに起きて、「読書」や「Evernoteレビュー」の時間を最小限にして、「ブログ記事を書く」まで済ませてから外出。
「読書」や「Evernoteレビュー」の時間が緩衝材(バッファ)のような役割を果たしている感じです。
僕自身は朝型ではありませんが(起きるのは早くても7時過ぎ、遅いと10時過ぎ)、それでも午前中という「枠」は実に効き目がある、と感じています。
午後は午前中のような明確な「枠」が感じられないうえに、午前中に比べるとパフォーマンスは下がっているので、「終わらせる仕事」にはなかなか取りかかれません。
従って「進めればOKな仕事」を用意しておき、いくつか切り替えながら過ごしています。
関連記事
「取りかかる」だけなら簡単なのです。
「イヤな仕事はなかなか取りかかれないじゃないですか」という意見もあるでしょう。
それは、しかし、違います。「取りかかるだけ」なら本当に簡単なのです。
「イヤな仕事はなかなか取りかかれない」には省略されている部分があるのです。
「イヤな仕事は(取りかかれても簡単には終わりそうもないから)なかなか取りかかれない」つまり、終わらせようとしているからこそ、それがプレッシャーを生み出し、取りかかりを阻害するのです。
であれば、終わらせようとしなければいい。
一気に片付けるとは、「気合い」や「勢い」や「やっつけ仕事」といった不確定要素に頼る方法です。たくさんの仕事をこなしたという実感は得られても、自分なりの仕事のやり方を確立することは難しいでしょう。
常に行き当たりばったりで仕事をすることになり、「本当に締め切りに間に合うだろうか?」という不安と背中合わせになってしまうからです。
そもそも、なぜ「やっつけ仕事」に陥ってしまうのでしょうか。今回はこの問題について考えてみます。