Evernoteのサービスが日本で開始して、もう10年以上になります。それだけの年月、メモ、ノート、ウェブクリップ、ファイルなどを蓄積してきたわけですから、「もっと記録を活用できないか?」と考える人が多くなるのもうなずけます。
私もタスクカフェなどでこの「記録を活かせていない」というご質問を頻繁にいただくので、「なんとかする方法」をいつも考えるわけですが、その一方で私や大橋悦夫さんが、「こうしたら?」「ああしたら?」と提案している内容を改めて考えてみるに、活用できる・できないを分けてしまうのは「活用できるはずだ!」という思い込みに対して「できるわけがない」という思い込みなのではないかという気がしてきています。
つまり私や大橋さんはEvernoteに使えるノートの数が相当数埋まっているはずだと思い込んでいるのに対して、そうは少しも思ってない人にとってそんなふうにはならない。そもそもEvernoteに使えるノートがあると思ってないならば、そこを探すわけがない、ということなのです。
「例外なくEvernoteへ」とはどういうことか?
先日、自分の「書類整理システム」に改めて「契約書」を突っ込んでいるときに思ったことです。もしこれを妻が見たら「そんなところにそんな大事なものを入れないで」と言うことでしょう。
つまり私たちは、「信頼できるところ」に「大事なもの」を入れるものだと自然と思い込んでいるわけですが、「信頼できる」かどうかもまた思い込みなのです。私はEvernote以上に信頼できるところなど思いつかないから、大事なものは全てEvernoteにあると思うことができますが、信頼できないと思えば、大事なものをそんなところには入れないので、そのまま信頼できない状態が続きます。
したがって、「Evernoteにはたくさんの情報があるんだから、これをもっと活かせるはず」と考えるのはなにかがずれているとも言えるのです。そうではなく、Evernoteを活用するために(または使いこなすために)、なにより必須で不可欠のこととはEvernoteが「信頼できるツールであるから」大事なものをぜんぶそこへ入れることなのです。そうでないなら、これを「使いこなす」ということはどうやって不可能なのです。
「大事なもの」とは多くの場合「例外的なもの」です。「例外なくEvernoteへ」とは、「大事なものはぜんぶEvernoteへ」と言い換えていいのです。しかし私たちは、特にモノの整理において「大事なもの」ほど「大事でないもの」と分けねばならないという一種の信念にとらわれているため、「例外なく何でも情報を保存するEvernote」には、「大事なものだけは別のところへ!」となりがちなのです。
すると、Evernoteには大量のジャンク情報ばかりが集まるということになりがちです。そんなものを「活用できる」はずがありません。どんなタグの付け方をしようと、どんなノートブック名にしようと、どれほど検索システムが優れていようと、どれほど操作性に優れていようと、いっさい関係ありません。ジャンク情報しかないところをどう探しても、大事な情報が出てくるわけがないからです。
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今週末に開催する、jMatsuzakiさんとのセミナー。参加者がちょうど半数程度になりました。
最近になって、タスクシュートに関する価値観の衝突というのはそれほど大事なことではなくて、むしろ自分の価値観と現実がきちんとタスクリストに反映されているかどうかが重要だと思うようになりました。
現実が物足りないならタスクリストは余裕が大きく、そうでないならタスクリストが破綻しかけているでしょう。もしタスクリストに余裕があるのに現実があまりにキツいなら、タスクリストを書き換える必要があるはずです。