今から17年前、「システムダイアリー」というA6サイズ(A4の4分の1)のバインダーノートを使っていました。それから2年後に「マンダラート手帳」という、B7サイズ(B5の4分の1)のバインダーノートを使っていました。しかし、いずれも長く使い続けることなく挫折。ただ、形を変えて今も同じようなことは続けています。
週末に部屋の整理をしていたら不意に出てきたのです、この2冊のバインダーノートが。
▼システムダイアリー(左)とマンダラート手帳(右)
「プロジェクトノート」としてのシステムダイアリー
システムダイアリーはいわゆる小型のルーズリーフで、通常の綴じノート(大学ノート)と違って、ページを後から追加したり、移動したりが自由にできます。
綴じノート式はシーケンシャル・アクセスを強要されるのに対し、ルーズリーフ式はランダム・アクセスが許容されるわけです。
ちなみに、シーケンシャルについては、実はタスクシュートの設計思想に関わるもので、以下の2つの記事で触れています。
シーケンシャル管理とは、ファイルのシーケンシャル・アクセスをヒントに思いついたタスク管理のアイデアで、タスクの種類に関わらず時間軸に沿って一列に並べて、順番に処理していくためのものです。
(中略)
大きなプロジェクトで仕事を進めているときでも、例えば社内資料の提出期限を守ったり、プロジェクト外のちょっとした頼まれごとに対応したりといった管理されていないタスクをきちんとこなす部分については、個人に委ねられているのが現状ではないでしょうか。
さらに、参画しているプロジェクトが複数になれば、状況はさらに複雑になり、個人の能力差がもろにプロジェクトに跳ね返ります。上司としても部下の作業状況が見えづらくなり、全体として遅れているのか進んでいるのかが霧に包まれ始めます。
このような時に必要になるのが「シーケンシャル管理」という考え方です。
自分がある作業をするのにどれだけの時間が必要なのかを把握するのはもちろん、その作業を終えた後にちょっとブレイクして次の作業に取りかかるまでの“セットアップ時間”がどれくらい必要なのかも作業記録から読み取ることができます。
そう考えると、タスクのシーケンシャル管理は、生身の人間の現実から目を背けることなく、文字通り現実的なタスク管理を実現していくための1つの手段になりそうです。
「管理されていないタスクをきちんとこなす」ための仕組みと、「タスクの種類に関わらず時間軸に沿って一列に並べて、順番に処理していく」ための仕組みの2つをバランスよく回していく必要があるわけです。
このときの前者の仕組みが「プロジェクト管理」であり、後者が「タスクシュート」ということになります。
17年前に「システムダイアリー」に担わせた役割はまさに「プロジェクト管理」。プロジェクトごとにそれぞれの時間軸で進んでいく流れを把握しつつ、これを分割してタスクシュートという一日のレールに配置していく作業です。
17年前の課題は「プロジェクト管理」と「タスクシュート」が分断されたままだったこと。「プロジェクト管理」を通して課題を把握し、その解決策が見出されていたとしても、これを実行フェーズである「タスクシュート」というベルトコンベアにうまく乗せることができなかったのです。
さらに問題は、この「プロジェクト管理」という作業自体がとても楽しいこと。仕事をやっている気になるのです。仕事が進んでいるような気分に浸れるのです。
単に「設計図」を描いているだけだからです。
完成を見なかった「設計図」
以下、完成を見なかった「設計図」群です。「部品のままで終わった部品」と言ってもいいでしょう。それぞれについて特にコメントはしませんが、こういったメモをどのように「次工程」に送ればいいのかが当時の自分にはよく分からなかったのです(時代は「iモード」全盛期です)。
考えを進めるための「マンダラート手帳」
その後、当時のネット界隈(ニフティのパソコン通信!)で話題になっていた以下の書籍を読みふけり、必然の結果として「マンダラート手帳」にたどり着きます。
» 頭を使いこなすマンダラ・メモ術―メモで考え、イメージで発想すれば創造性は飛躍する
成績が良かった人ほど、このリニア思考は身についてしまっている。
それを証拠に、マンダラを使いながらも、最初のうちは、無意識にリニア思考を引きずりながらやるものだから、どこかぎこちない。
自由に、伸びやかに、楽しみながらの〈観自在〉な発想や展開は難しい。ついつい、どこか理詰めで考えている自分を感じとったりする。
本を読んだときに思ったほど、マンダラの威力を感じなかったりする、のです。このリニア思考だって、いったい何年やって身についたことか、ということを、あなたは忘れている。最初からスラスラできたわけじゃなかった。
なのに、大人というものは困ったもので、アタマで理解できれば、すぐやれるものだと思い込んでいるのです。自分のアタマは、それほど器用なものだと思っていませんか?
リニアな個条書きとくらべて、マンダラはどうですか?
まるで、ゲームでもするように、8つのセルを埋めることが楽しくありませんか?
何よりも、書くことがラクじゃないですか?
本書に繰り返し登場するこの「リニア」と「ノンリニア」という思考の違いは、まさに「シーケンシャル」と「ランダム」の違いのように当時は感じられました。
ただ、この「マンダラート」という独特な思考法は取っつきにくく、違和感を覚えつつも、見よう見まねで取り組み始めます。まさに「ぎこちなく」。
▼まず、表紙を開くと真っ赤な扉が目に飛び込んできます。
▼「manda を la する技術」
ここから先は、試行錯誤の過程です。日付が飛んでいますが、ここに載せるためにピックアップしたのではなく、ほんとうに飛び飛びにしか記録が残っていなかったのです。
▼2002年7月13日 当時の現状分析(ゴム印が写って少し汚れています)
▼2002年7月15日 引き続き現状分析(どの位置に書くかが重要な気がしてくる)
▼2002年8月16日 よく分からないメモ(未知 → 既知 → 組み合わせ)
▼2003年10月1日 1年以上放置して突然復活w(梅田望夫さんの影響を受けた模様)
▼2003年10月27日 「今週のコンセプト」(新しい使い方!)
▼2003年11月24日 中央のマスを埋めただけで力尽きる(1ヶ月近く空いている上に)
▼以降、白紙──。
まとめ
とりあえず、「システムダイアリー」でやりかけたことは、現在Evernoteでの「プロジェクト管理」に息づいていることが確認できました。
一方、「マンダラート手帳」でやろうとしたことについては未だに暗中模索が続いています。アウトライナーやマインドマップとは違った、何か独特のものなのです。
今泉浩晃(いまいずみ・ひろあき)さんと松村寧雄(まつむら・やすお)さんのお二方がそれぞれに独自のマンダラートとその関連商品を出されています。
今泉さんは「マンダラート手帳」(現在は入手困難)、松村さんは「マンダラ手帳」(こちらで購入可能)、というそれぞれ似ているけれども違ったプロダクトです。
僕自身、「マンダラ手帳」も使ったことがあります。1994年なので大学3年のとき。
以下のように中央(左ページの中ほど)に「今週の目標/計画/指示」を書き込み、その周囲を上段左から(月) → (火) → (水) → 中段左から(木) → (金)、下段左から(土) → (日)と囲み、下段右に「今週の評価/分析/反省」を行うというもの。
さらに右端の「サイドバー」はメモ欄になっていて、僕自身は日々の収支メモに使っていました(何にいくら使ったかのメモ)。一日の終わりにPCの家計簿ソフトに入力するための一時的なメモです。
※なお、今現在はいっさい紙の手帳は使わなくなっております。
↓以下は松村寧雄さんの著書。今泉浩晃さんの本よりは入手しやすい感じです。
» マンダラ思考で夢は必ずかなう! 「9マス発想」で計画するマンダラ手帳術
関連
そういえば、「三極発想法」なんてのもありました。これもまた独特ですが、僕自身はしっくりきて時々使っています。
» 『三極発想法』の感想を一言でいえば「体系化ってこういうことだったのか!」
本書をもとにPowerPointで作図してみました。
以下、この図の解説です。
歴史は過去の史実から、現在の社会構造や国家間の対立、共存への必然を学ぶところから出発します。
史実ですら、後年、人によって書き残されたわけですから、歴史家は史実そのものの探究のために、古文書や埋もれた言い伝えも大切にします。生の情報収集に相当するわけです。
現在の構造を知るとともに、史実の分析との接点や、変遷の必然性から、未来への仮説を立て、予言を聞くことになります。
そして、時代はやがて変革の時を刻むのです。
(赤字・太字の文字修飾は大橋)
解説を読まずとも、この図をじっくりと眺めているだけで各要素間の関係性が伝わってきます。
例えば、「過去」と「現在」を結ぶ線上には「必然」が避けて通れない位置にあり、「現在」から「未来」の途上には「仮説」が敷設されています。
「過去」と「未来」は「変革」によって結びつけられるのですが、この結びつきは「現在」が取り持っている格好です。
また、「過去」、「現在」、「未来」それぞれに直結している3要素(「史実」、「構造」、「予言」)は、中央に位置する「歴史に学ぶ」というメインテーマとの関係性を表しています。
メインテーマと三極が決まれば、残りの6つの要素はそれぞれの三極の“磁場”の持つ力によって、この“魔方陣”に召喚されてきます。
まさしく「三極」をベースに「発想」を展開する方法論。
メインテーマを取り囲むように配置されている6つの要素はそれぞれに等価でありながら、三極それぞれからの影響下にあり、三極図形全体が一つの系を体現しているわけです。