何かがうまくいったとき、何が原因だったのかを把握しておく。
- 何をやったからうまくいったのか
- 何をやらなかったからうまくいったのか
いつ、なぜ、どこで、どのように、やったのか。やらなかったのか。
「今回はすごくがんばったからうまくいった、次回もがんばろう」というだけでは次回に同じ結果を出すことはできない。
具体的に、いつ、何を、どこで、どのように、がんばればいいのか、そもそも「がんばる」に含まれるアクションと含まれないアクションが明確に決まっていないと、がんばり始めることができない。
自分の行動をふり返り、実態として何をしているのかを客観的に把握する。
自分の行動をふり返るためには、それが後から参照できる形になっていなければならない。
すなわち何らかの形で記録されている必要がある。
アスリートが自分のパフォーマンスをビデオ撮影しておくのは、自分の「がんばり」を参照し、具体的にどのようにがんばればいいのかをそこから知るためである。
続けるべきことを残し、やめるべきことを捨てる。この取捨選択をする上ではあいまいな記憶ではなく確固たる記録が欠かせない。
自分は実態として何をしているのか。そして何をしていないのか。
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あるいはこう言ってもいいかもしれない。答えの候補が現れたとき、いつでもぼくはそれをつかまえられるように、「チューニング」してるってわけだ。何かが思い浮かんだときに、「これがあの問題の答えかもしれない!」って声が響く。その声に耳を澄ましていること。
集中して考えているときには、それは鋭敏に研ぎ澄まされている。他の声に耳をかさず、すべてをその問題に関係させて、「これだ!」という声を待つ。そういうとき、ぼくたちは「考えている」って言うんじゃないだろうか。
「考える」っていうのは、耳を澄ますこと、研ぎ澄ますこと。だから、考えている間中、その人は考えていない人と同じように行動してていい。いろんなことをして、いろんなものを見て、いろんなことを感じて、いろんな思いがよぎる。ただ違うのは一点、「あ、これだ!」という声にその人は耳を澄ましている。その一点だけ。
あとはおんなじでいい。(p.29)
» はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)