ずっと同じことを繰り返し続けていると、変化に敏感になる。
同じ時間に同じ場所で同じ行動をとっていると、「変わらない部分」と「変わる部分」がくっきりと分かれていることに気づく。「変わらない(と思っていた)部分」に変化が認められれば、それは「大きな変化」としてとららえられるようになる。言い換えれば、パターンを見抜くことができるようになる。
ずっと同じことを繰り返し続けていない人にとっては、ほとんどすべてが「変わる部分」のように映るので、その変化に気づくことはない。
外の変化を認識できなければ、内なる変化を起こすのは難しい。
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非常につらい課題で、時間を重ねるうちに、こんな骨折りに意味があるのだろうかと疑問に思うようになった。この調整のふしぎな力をようやく理解できたのは、調整過程の終わりころだった。
この新たな技術はあらゆるショットにおいて、ほかのものよりすぐれているとか効果的とかいうわけではなかったが、フィードバックのための完璧な条件を提供してくれた。
どういう意味か? わたしの技法がいろいろ変わった状態を考えてみよう。失敗したとき、なにが悪かったか特定するのは実質的に不可能だ。バックスイングのせいだったのか、相手がかけたスピンのせいだったのか、ボールの高さのせいだったのか? わたしの打ち方はショットごとに大きくちがったので、どれかしくじった場合になにがいけなかったか、つきとめるのは不可能だった。フィードバックが専門用語でいう「生物機構的ノイズ」で台なしになっていたのだ。
それが完璧に再現できる打ち方のおかげで、失敗すれば即座になにが悪かったか特定できるようになり、それが自動的な改良と再調整につながった。数ヶ月でフォアハンドの精度と安定性が向上し、続けざまに打てるストロークの数は15回から200回以上に増えた。これがフィードバックの力だ。
陳コーチの言ったように「なにがいけないかわからなければ、なにが良いかもけっしてわからない」。(p.112)