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知っていたつもりのことを思い知らされる

By: Kiran FosterCC BY 2.0


2008年4月に刊行された『たった3秒のパソコン術』という本がまたたく間に30万部のヒットとなった。

載っているのは、Windowsのショートカットキーや基本的な操作方法。

少し詳しい人であれば「知ってる知ってる、こんなの当たり前ジャン!」と思わずツッコミを入れたくなるような「テクニック」のオンパレード。

それが30万部。

当時はもっと「高度」なことをブログや書籍や商業連載で書いていたのだが、読み手が「知らない」ことについて自分はまったくもって「知らない」のだと思い知らされた。

自分がすでに知り尽くしていることを、それを「知らなかった」時の目線でとらえなおすこと。これができれば、今まで「知らなかった」世界が見えてくる。

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コピーを書きはじめた頃、誰しもが悩むのは、「なんで自分がこんなにすばらしいと思っている自分のコピーを、他人はいいと認めてくれないのか」というジレンマだと思います。

そして、このハードルを乗り越えられるかどうかは、コピーライターとしてのひとつの勝負所だったりするのですが、その難しさの根本には、「書き手のよろこびと受け手のよろこびは違う」という絶対的事実が大きな原因としてあるような気がするのです。

コピーを書いているときって、書き手だけが味わえる快感があります。たとえば、「こういう条件とこういう条件、2つをひとつの言葉のなかに込めることができた、やった、できた」というよろこび。“言葉遊び系”のコピーなら、「これとこれを上手にシャレにすることができた」といううれしさ。書いていて、書いている自分の苦労が「報われてよかった」と思う気持ちがあるじゃないですか。

そこで、自分が「やった!」と感じたから、「これはいいコピーに違いないんだ」と思い込んでしまうことが、よくあるような気がするんです。

でも、そのコピーを読んだ人が、同じようにすばらしいと感じるかどうかは「?」です。

なぜなら受け手は、書き手の「やった!」「できた!」という気持ちとは無関係に、コピーだけを読むからです。受け手はそれが「自分にとって価値があるかないか」しか考えない。つまり“受け手としてのよろこび”しか考えません。

この“受け手としてのよろこび”をしっかりと考えずに、“書き手のよろこび”ばかりに意識が向いていると、先ほど言ったようなギャップに悩むことになるわけです。

もちろん“書き手のよろこび”を我慢する必要はまったくありませんが、でもよろこびを感じたあとは、こんどは冷静になって、「受け手にとって、このコピーはうれしいものなのだろうか」とチェックしてみることが大切です。(p.68)


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