最近あまりイラッとしなくなった大橋です。
3年前に以下のような記事を書いていました。
今年の正月に、昨年一年を振り返って「今年以降はこれをやめよう」と心に誓った習慣があります。習慣というより癖なのですが、まぁ癖は習慣ですから習慣でいいでしょう。
それは、すぐにイラッとすること。要するに怒る癖です。
「イラッ」を完全に封じ込めるのは困難かもしれませんが、身の回りには「怒りっぽい」の対極にある人がけっこういます。
僕の見えないところで激しく怒っているかもしれませんが(可能性はあるでしょう)、少なくとも僕にとっては「きわめて穏やかな人」ということになっています。
つまり、「イラッ」としてもそれを人前に出さないようにしたいわけです。
自分の思う通りの対応をしてくれないと、すぐにイラッとしてしまう。自分で書いていて恥ずかしい限りですが…。
3年たった今でも、イラッとすることはあります。
でも、上記引用にも書かれている通り人前に出すことは少なくなりました。
この3年の間に何があったのか?
「自分にも非がある」ことに目を向ける
「イラッ」とするのは、ある種の攻撃と言えます。
なぜ攻撃したくなるのか?
それは相手から先制攻撃を受けた(と感じる)からです。
「このまま黙っていたらしてやられる…すわ、反撃すべし!」ということで、まずは宣戦布告の螺(ほら)を吹く。
それが「イラッ」の実態だと思うのです。
言うまでもなく、こうして怒りにまかせて“開戦”してしまえば、泥沼化することは必定。
ではどうすればいいか?
ここで、この3年の間に出会った「教え」が登場します。
「グッドバイブス」です。
» なぜ「怒り」では問題を解決できないのか? | グッドバイブス公式ウェブ
あなたが「もう我慢の限界だ!」とキレる瞬間を思い出してください。それはまるで、たび重なる非道、無法に耐えてきた映画の主人公が、「これ以上は許せない!」と悪党集団のアジトに乗り込むような気分ではないでしょうか。
このとき、私たちは「自分にも非がある」などとは微塵も感じていません。たとえ、「いや、私にも問題はあった」とわかっていたとしても、その事実は心の奥底に閉じ込めているはずです。
なぜならば、「自分ではなく相手が100パーセントわるい!」とみなさない限り、私たちは本気の「怒り」をぶつけることなどできないからです。
(中略)
2人のあいだで起こった間違いは、どちらか一方ではなく、両者がそれぞれ修正しなければ真の解決にはいたりません。その際に重要なのは、
「たとえ、相手だけに非があるように見えたとしても、過失度10対0などということはあり得ない」
という事実をしっかりと認識しておくことです。
イラッとしたら、すかさず「自分にも非がある」ことに目を向けるわけです。
クレームメールから学んだこと
逆の立場になりますが、以下のような「クレームメール」をいただくことがあります。
支払ったのに、商品が届きません! どうなっていますか!
送り主は明らかに怒っています。
調べてみると、メールアドレスのタイプミスが原因だったりします。
こちらには非が無いわけです。
それでも、お詫びとともに正しいメールアドレス(=クレームメールの送信元アドレス)に対して、商品案内(ダウンロード方法)のメールを送ります。
このメールを受け取ったクレーム主はきっと赤っ恥をかいているでしょう。
送ったメールに対して2割くらいの確率で「タイプミスのお詫び」のメールが届いたりしますが、たいていは返信はありません。
きっとばつが悪い思いをしていると思います。
まぁ、それはともかく、日常的にこうした攻撃メールに対応しているうちに、「自分にも非がある」ことにいっさい目を向けないことで被るリスク(=ばつが悪い思いをする)を思い知ることになりました。
「自分はこういうばつが悪い思いはしたくないな」ということでイラッとする場面に直面しても、一呼吸置いて「自分にも非があるかも?」という可能性に目を向けられるようになったのです。
攻撃してくる相手が何を恐れているのかを明らかにする
これもまたグッドバイブスでの学びです。
攻撃してくる人というのは何らかの恐怖を抱いており、この恐怖を取り除きたい一心なのです。
あなたが怒りや不機嫌さを抱くとき、そして他人を攻撃したくなるとき、本当は何が起こっているかを思い出してみてください。
あなたの中にはかならず、何らかの「恐れや不安」が存在しているはずです。
さらに心の奥底をのぞいてみると、その「恐れや不安」は、
「自分の存在が脅かされるかもしれない。自分が傷つけられるかもしれない」
という予測から生まれていることがわかります。
この思いを、私たちは怒りや不機嫌さによって、ときには相手を攻撃することによって守ろうとしているのです。
先ほどのクレーム主がなぜ怒っていたのか?
それは「このままメールを送らずに黙っていたら、お金だけ取られて惨めな思いをさせられるのではないか?」という予測があったからだと考えられます。
そもそもお金を払うという行為は、「身銭を切る」という言葉もあるくらい、本質的に「痛み」を伴うもの。
受け取る側としては、この「痛み」は少しでも早く「緩和」してさしあげたいと感じます。
事業を続けるうちに、強く感じるようになりました。
それゆえ、支払う側に立ったときに、受け取る相手がこの痛みを理解してくれないと知るや、イラッとしてしまうのです。
10万円を振り込んだのに…
5年以上前に、とあるセミナーに申し込みました(金額は10万円でした)。
代金を銀行振込で支払ったのですが、一週間たっても何の音沙汰もありません。
いてもたってもいられず、以下のようなメールを送りました。
代金を一週間前のx月x日(月)にお振り込みいたしましたが、着金していますでしょうか?
その後、連絡がないので、気になっています。
1時間後に、
確かにご入金いただいております。ご連絡が遅くなり大変ご迷惑をおかけいたしました。
という返信があり、そこでようやく安心できました。怒りが鎮まったのです。
セミナーの内容はたいへん良かったので結果オーライなのですが、以降、このセミナー主催者によるセミナーには参加しなくなり、メルマガも読まなくなりました。
単純にこのセミナーに対する興味が薄れたから、ということもありますが、「同じ痛みを味わいたくない」という自己防衛本能もあったように思います。
ささいなことで気にしすぎかもしれません。
それでも、この一件から「あぁ、相手の痛みを理解しないと、巡り巡って自分が痛い目に遭うのだな」という貴重な学びを得ました。
「こういうことは短気を起こしたほうが負けることになっている」
ちなみに「攻撃してくる相手が何を恐れているのかを明らかにする」というトピックは以下の記事で取り上げた『創業社長』の中にも出てきます。
2巻の90ページです。
» 『創業社長』というKindleコミックが面白すぎて、大量に読書メモを取ったので全部シェアします