『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』で何度も述べているのは、「考えるときは、なるべく空ではなく書くことを通して行おう」というメッセージです。
使うツールは何でも構いません。普段使い慣れた(あるいは書き慣れた)ツールであれば、操作について注意を向ける必要がなくなるので、「思いを書き出す」ことに集中できます。なので、そうした「手に馴染んだツール」を使うのが一番だと言えるでしょう。
という話を前提にした上で、今回はアウトライナーを使う場合のことを考えてみます。
書いて考える
たとえば、「あ〜、8月からのシゴタノ!の連載内容どうしようか」などと思ったとしましょう。そして、思っただけでなく、それについて考えたいと欲したとします。そんなとき、アウトライナーを開きます(もう一度言いますが別に何のツールでもいいのです。ここではたまたまアウトライナーが選ばれたに過ぎません)。
そして、思っていることをそのまま文として書き出します。ここでは「8月以降のシゴタノ!で何を書くか」となりました。
あとはその項目の下位項目に、関連して思いつくことを書き込んでいきます(アウトライナーではtabキーで項目を下位に設置できます)。
「書き残していることは何かあるか?」と書いたところで、「じゃあ、これまで何を書いてきたのか」が気になりました。これまで書いてきたことを確認しない限り「書き残している」ことを判別するのは不可能だからです。
そこでふと思い出しました。「そういや、連載のリストを作っていたな」と。
同じアウトラインの別の項目(兄弟項目)に、「デジタルノートテイキング連載 at シゴタノ!」があり、そこにこれまで書いてきた記事一覧があるのでした。書き残しを確認する上では役立つ情報です。
デジタルツールなのでそこからまるっとコピペしてもいいのですが、WorkFlowyにはMirror Copyという機能があるので、それを使ってみましょう。新しい項目をリターンキーで作成したのち、二つの半角丸括弧を入力し、「それっぽい文字列」を入れて、先ほどの項目をサジェストさせます。
これで別項目が参照できるようになりました。さらに、参照するだけでなくここで項目を編集すると、おおもとの項目も編集されるようになっています。なので、書き直したいことが出てきた場合でもいちいち行ったり来たりする必要がありません。逆に、編集をそれぞれ別に行いたい場合は、項目のメニューから「detach Mirror」を選べば編集同期関係が消失した独立項目になります。必要に応じて使い分けられるのです。
とりあえず、ざくっと過去連載のリストを読み返してみて、「知的生産の話が多いが、タスク管理の話があまりないな」と気がついたので、新しい項目を作り「タスクの話もしたい」と記述しておきました。これについて考えることが、おそらく次の一歩になるでしょう。
心の中の「べき」とそこからの自由
さて、上記の手順でデジタルツール的に注目したいことがあります。それはMirror Copyの機能、ではなく、その手前の「8月以降のシゴタノ!で何を書くか」という項目を立てたことです。今回の紹介の仕方では、そこまで違和感はなかったかもしれませんが、私のWorkFlowyの全体をお見せしていたら、きっと違和感が生まれたことでしょう。
なにせ一番トップの項目に「デジタルノートテイキング連載 at シゴタノ!」があるのです。「あ〜、8月からのシゴタノ!の連載内容どうしようか」と思ったら、まずこの項目を開けてそこに書き込む「べき」でしょう。
不思議なものです。どこにもその「べき」を記述した倫理書などないのに、たしかにそう感じるのです。書き込む「べき」だと。
もちろん、この項目を開いてそこに書き込むことは間違いではありません。一つのやり方ではあるでしょう。一方で、そうしなければならないわけでもありません。今回のように独立的に新しい項目を作ったって構わないはずです。でも、なかなかそう感じにくいのが、私たちがデジタルノートツールをデジタルノートツールらしく使えない要因になっています。
今回紹介したように、先に独立的に項目を作り、そこで記述を進めながら「そういえば」的に思いついたら既存の項目からコピーしたり関連づけたりが可能なのがデジタルツールです。そうした機能を使うなら、「デジタルノートテイキング連載 at シゴタノ!」を開いてからそこに書き込む、という手順を取らなくても構いません(もちろんそうしても構いません)。
今回は、私は最初に「あ〜、8月からのシゴタノ!の連載内容どうしようか」と思いつき、「デジタルノートテイキング連載 at シゴタノ!」については思いつかなかったので、その「思いつき」に合わせて項目を作成した次第です(これを注意オブジェクトモデルと呼んでいます)。別にこうしたバラバラな形(≒整理されていない形)になっていてもぜんぜん構わないのです。提出するレポートを作っているのではありません。単に「自分のノート」に書き込んでいるだけなのです。「項目の粒度が揃っていないじゃないか!」と怒鳴り散らしてくる上司はいません。
でも、不思議とそういう心の中の上司がいて、ああだこうだと私にノートの書き方を制約してきます。その制約がフォーマットとしての力を持つ反面、体裁を整えることに心理的なエネルギーが使われてしまい、自分の思考を十全に展開できない不具合としても働きます。
それを乗り越えるためには、「そう」思ったら、まず「そう」書くことです。今回のように、まず思ったことを書くのです。そこから必要に応じて情報を書き足し、参照し、編集すればいいのです。もし、項目の「整理」が必要ならば、書き終えた後に既存の項目に吸収させてもよいでしょう。それが容易にできるのがデジタルノートの素晴らしさです。
「脱フォーマット」をせよ、というのではありません。フォーマットがあるにしても、そこから部分的に逸脱することはいつでも可能である、という認識を確立するのです。そうすれば、デジタルノートはもっと自由に使っていけるはずです。
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新刊が発売になるまでは非常にドキドキしていたのですが、全体的に好評価を頂いており、嬉しい限りです。
先日増刷も決まりました。
たくさんの人が日常に「書くこと」を導入するきっかけになっていれば嬉しい限りです。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。