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デジタルノートと身体知



倉下忠憲情報と身体知について考えてみます。

たとえば私たちは、自分の右手がどこにあるのかを「知っています」。その感覚を適切に著述できなくても、そこに「ある」ことはわかっています。この感覚は、随意運動が可能な肉体箇所ならば等しく感じられるでしょう。

そして右手は、上げようと思えば上げられます。実際は右手が上がる方が先であり、それを上げようと思う感覚は遅れてやってくる(だから自由意志などない)という話もありますが、ここでそれは重要ではありません。随意運動とそうでない運動があり、前者は「わかっている」感覚と結びついていることさえ確認できればそれで十分です。

むしろ、その感覚が自由意志の発露ではなく、むしろ肉体からのフィードバックだからこそ、私たちは「自分の肉体」以外のものも身体化できるのだと論じたいところですが、話が逸れるのでここではやめておくとして、情報を「扱う」話に進みましょう。

最近使ったファイルの場合

パソコンの「最近使ったファイル」は効率的である、という話を前々回確認しました。統計的にそれは間違いない話でしょう。

一方で、注意を向けたいのは、そのようなメニュー項目はアプリケーション上で(ないしはOS上で)フィックスされている、という点です。

「最近使ったもの」の先頭表示が合理的ならば、いっそメニュー項目もそのように動的に再編すればいいでしょう。しかし、そうはなっていません。「最近使ったファイル」として表示される項目は動的に入れ替わっても、「最近使ったファイル」の項目そのものはメニューの中で定位置を占めており、動くことはありません。むしろ、ここが頻繁に変わったら戸惑う人は多いでしょう。

なぜなら、私たちは「最近使ったファイル」にアクセスするときに、「場所」を頼りにしているからです。もう少し言えば、あの項目はここにあると「わかっている」感覚を頼りに情報を見つけているのです。

つまり、すべてが動的に入れ替わっているわけではなく、そこには固定があります。そして、その固定が空間的な記憶を形成し、それが「どこにあるのかを思惟することなく、たどり着くこと」を可能にしています。

押出しファイリングの場合

別の例でも考えてみましょう。

野口悠紀雄さんの押出しファイリングは、配列の動的な再編成によってファイルアクセスへの効率性を上げているわけですが、そのようなファイリングを実現する「棚」そのものの場所が変わることはありません。これも合理性を突き詰めれば、SF映画のように棚そのものがギュイーン、ギュギュギュ、ギュイーンと変形、再配置することになりそうですが、実際はそれを望む人は少ないでしょう。
*これはこれで面白い思考実験ではあります。

結局ここでも、動的な再編成を内包する枠組みそのものの固定が生まれています。動的さは重要ですが、すべてがそれだけで構成されてしまうと、私たちの「わかっている」感覚が利用できなくなるのです。これが「フローしかない情報環境」が、どうにも「手に負えない」感じがしてくる理由の一つでしょう。

だからこそ、フィックスを入れていくのです。

絶対的な固定ではなく

ただし、ここで慌てて付け加えておきたいのは、上記のような固定は絶対的なものではなく、相対的なものに過ぎない、ということです。

パソコンのファイルメニューが定位置にあるとしても、それは空間座標的に固定されているわけではありません。私がノートパソコンの置き場所を変えたら、メニューの「場所」は空間的には変わってしまいます。しかし、パソコンを触っている中では、その変化は生じません。あくまで、相対的な座標における固定なのです。

押出しファイリングでも、机の配置を替えたり書斎部屋を移動したりすると、「いつもと同じ場所」に棚を置きたくなるでしょう。それは、もともとあった場所に置きたいということではなく、私が机についたとき、その相対的な空間として「同じ場所」に置きたい、ということです。

この「固定ではあるが、それは相対的なものでしかない」というのは、大切なことなので心に留めておいてください。変化を可能にするのは、この要素があるからです。

さいごに

Macの「ターミナル」でシェルを触っているとき、↓キーを押すとコマンドヒストリーが表示されます。「最近使ったコマンド」です。これもまた動的なメニュー項目の再編成だと言えるでしょう。これもたいへん便利なのですが、そのヒストリーを呼びだすことは「↓キーを押す」ことと結びついていて、さらに「↓キー」の場所は私の身体的な感覚に接続しています。

イメージしてください。ハードウェアのキーボードではなく、ソフトウェアで表現されるキーボードで、キーの配列が押した「経歴」に合わせて常に再構成されるとしたら。そのようなキーボードを私たちはタッチタイピングできるようになるでしょうか。

情報をただフローだけで扱う、というのはつまりはそういうことなのです。

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▼編集後記:
倉下忠憲




一年ほどいろいろありましたが、ようやくその「期」を脱することができました。これで一冊本が書けそうなくらい考えたことがたっぷりありますが、とりあえずは目の前の作業を片づけていきます。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中