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記録の管理法=情報整理法について | Aliice pentagram

倉下忠憲

» 前回:管理する記録の種類 | Aliice pentagram



前回は、知的生産に役立つ記録について書きました。着想メモ、スクラップ、読書メモ、アーカイブ、作業日誌、テンプレート、チェックリストとさまざまな記録の種類が存在し、それらは違った形で私たちの知的生産に役立ってくれます。

では、これらの記録はいかにして作り、どのように保存すればよいのでしょうか。実はその問いに対する答えが、いわゆる「情報整理法」です。「情報整理」と呼んでしまうと、かっこよさを得るかわりに、漠然としてとらえどころがなくなりますが、実質的にそれらが行っているのは記録の管理なのです。

そのような情報整理法(=記録の管理法)については、これまでさまざまな大家が効率的な手法を語ってくれていて、それは現代の個人における知的生産にも役立つのですが、人によっては手法が噛み合わない、あるいはまったくの逆ということすらあります。

そのあたりの論点を整理しながら、記録の管理法(=情報整理法)について考えてみましょう。

いまやるか、あとでやるか

たとえば、着想メモを作る場合は、できるだけすぐに書き留めることが必要だと言われています。しかし、スクラップや読書メモの場合は話が変わります。むしろ時間をおいて取り組んだ方が良い、という声もあるのです。なぜでしょうか。

「着想メモ」の場合、その発生源は自分の頭の中となります。そして、その場所から失われてしまった場合、二度と取り戻すことはできません。そうして失われたものの価値は、ほとんどゴミに近いものかもしれませんし、奇跡に等しいものかもしれません。どちらにせよ、失ってからではその価値を評価することは不可能です。よって、「着想メモ」は忘れないうちにすぐに書き留めるのが吉です。

では、スクラップや読書メモはどうでしょうか。

スクラップの場合、時間が経ってもその記事にアクセスできることがわかっているならば、焦る必要はありません。読んでいるときは面白そうだなと思っても、時間が経てば印象が変わることがあります。価値の判断が後からできるのです。また、情報に接している最中のHOTな気分のときは、価値判断が上昇しがちで、ついつい大量に保存したくなってきます。その点を考慮しても、冷ましてからスクラップするやり方は悪くないでしょう。

読書メモについても同じことが言えます。最初に読んだときはあれもこれもと線を引き、メモを取り、カードに書き写したくなるのですが、そんなことをしていては時間がいくらあっても足りませんし、重複している部分も出てきます。少し冷ましてからメモ取りするのがよいでしょう。

しかし、本を読んでいて思いついたこと、つまり着想メモに関してはできるかぎりすぐ作ることが肝要です。それはやはり時間が経つと思い出せなくなる可能性が高いからです。読書メモには、このような二つの性質があることを踏まえておきましょう。

一元管理か適材適所か

作成した記録を、一カ所にまとめるのか、それとも適材適所に分散させるのか、という問題もあります。

この問題に対する答えの大半は、「一元管理」です。一カ所にまとめておけば置き場所に悩むこともありませんし、探し回る手間も省けます。また、同じ場所に保存しておくことで要素同士の相互作用(「あれと、これは関係ありそうだな」)も期待できます。単に記録するだけでなく、それを使うことを想定するならば、一元管理を心がけるのがよいでしょう。

ただし、その一元管理が、「無理矢理でも」となっているならば話は変わります。一元管理するために、すごい労力がかかる、たいへんな時間を要する、というのであれば、整理のために時間が使われすぎてインプットやアウトプットが行えません。これでは本末転倒です。

たとえば、どうしてもアナログ情報とデジタル情報の両方を保管する必要があるならば、それは両方保管しておけばよいでしょう。アナログ→デジタルの変換が容易に行えるのならば取り組めばよいのですが、そのコストがかかりすぎるなら、分散させるやり方が現実的です。これは、他のツールの使い分けにおいても同じことが言えます。

必要最低限かすべてか

記録を残すことについて考えるとき、必要なものに限るのか、それともできるかぎり残すようにするのかの判断も出てきます。

これについて考える場合は、まずその情報が再入手可能かどうかがポイントとなるでしょう。再入手可能な対象であれば、必要最低限で問題ないはずです。もしそうでないならば、「できるかぎり」のスタンスを持っておきましょう。

また、保存するためのコストが大きい場合には、理想的にはできるかぎり残したいとしても、実際的には必要最低限しか残せない、ということもあります。たとえば、紙の本などがそうです。デジタルデータでも、容量の大きいファイル(画像・動画)に関しては、何かしらの現実的制約がついてまわることも多いでしょう。コレクターでないのならば、そうしたものは無理に「すべて保存しよう」と思わない方がよさそうです。

対して、チェックリストやテンプレートに関しては、「できるかぎり残す」方針でいくのがよいでしょう。そうしたものの中には、数ヶ月に一回程度しか使用しないものも出てきますが、だからこそ__つまりそれだけ時間が経つとすっかり内容を忘れてしまっている可能性が高いからこそ__積極的に記録を残していくのが良さそうです。

さいごに

この記録の管理法については、あらゆるところで情報整理の技法として語られているので、それほど目新しい内容が含まれるわけではありません。せいぜい、現代のデジタル・クラウド・スマートフォン環境下において、何が必要で何が必要でないかを吟味するくらいです。

私たちは、手元のスマートフォンから大量の情報にアクセスできるようになっているので、記録として情報を手元に置いておく必要性は下がっているかのように感じられます。しかし逆に、デジタル化の恩恵によって、ほとんどゼロに近いコストで情報を記録できるようにもなっています。バランスを取るのが難しいのが現代なのです。

ともあれ、入手しにくい情報、自分の頭や行動から生まれた情報については積極的に記録していく、という指針はいつの時代になって変わらないでしょう。それが第一の原則と言えるかもしれません。

▼今週の一冊:

哲学的な問いで、最も根源的な問いと言えるかもしれません。

世界はなぜ生まれたのか。どのようにして生まれたのか。哲学と物理学が融合するその問いは、どう考えてもまともな答えが出そうにありません。「世界は〜〜から生まれた」と答えたら、「じゃあ、その〜〜はどうやって生まれたのか?」と反駁され、無限後退に陥ってしまうからです。著者はその問いに正面からぶつかり、数々の思想家・哲学者・物理学者を訪問し、対話を重ね、その問いが持つ奥深さへと迫っていきます。

さて、彼はその問いに答えを見出せるのか。見出せるとしたら、そこではどんな「方法」が使われるのか。ややこしい概念が登場する本ではありますが、ちょっとしたミステリーのようにも読める面白い本です。

» 世界はなぜ「ある」のか?:「究極のなぜ?」を追う哲学の旅 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


▼編集後記:
倉下忠憲



一月中に完成させようと思っていた電子書籍がみごとに完成しませんでした。リライト作業が予想以上に「困難」であることがわかったからです。人は見かけによらないといいますが、タスクも同じですね。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。


» ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由