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最適解を求めるより試行回数を増やす



大橋悦夫どの方法がベストなのか?

情報を集めまくって比較検討したり、シミュレーションを重ねたり、先行事例を研究したり、しても「正解」は得られないもの。

動き出す前の検討は見当違いなことも多く、実際に動いてみたら意外と健闘できたりすることも。

もちろん、何も考えずに動くことで思わぬダメージを食らうこともあるので、一概に「考える暇があったら動いた方がいい」とは言い切れません。

ただ、ここで食らうダメージは実は経験値となって後から(忘れた頃かもしれませんが)確実に返ってくるので、自分なりに一定時間の検討を終えたら、とりあえず動いてみることにしています。

ここで重要なことは、検討段階で描いた道筋と、実際に動いてみたことで描けた足跡をともに記録に残しておくこと。

検討段階の道筋と実行段階の足跡が一致する(当たっていた)部分ではなく、一致しなかった(外れていた)部分からより多くの経験値が得られることに気づきます。

今年5月に、たまたま講演を聴く機会があり、そのときに知った落語家の立川こしらさんという方はまさにそんな生き方を実践していて、刺激を受けました。

すぐに著書を購入して読んでみました。

失敗事例の連続

何よりも刺激的なのは、紹介されている話のほとんどが失敗事例なこと。ダメージ受けまくりです。でも、そこから強かにスキルを獲得して、どんどんレベルアップしていくさまが痛快。

レベルアップしても、相変わらず失敗が続くのですが、そのたびに新たな発見を得て、これを拡張・転用して前に突き進む。

こんな働き方、生き方も可能なのか!と常識と思い込みに囚われていた自分に気づかされます。

以下、読書メモです。

  • 家がない(ホテル暮らし)
  • 持ち歩けない物はすべてAmazonに「預けて」いる(大量に買って出品、必要なときに注文し、そのときに滞在しているホテルに届けてもらう)
  • 食事は全て外食
  • 呼ばれたところへ行く
  • 呼ばれてなくてもチャンスを掴むために行く
  • どこかにとどまる必要はない
  • 物々交換は価値観のマッチングを促す
  • お金という基準を見直す
  • 「ないこと」が大きな価値を生むのが落語
  • 現代のエンターテインメントは大半が足し算でできている(制作費何億! 構想何年!)
  • 一流を目指さない戦い方
  • 自分にとって「やりがい」の高い仕事に集中する
  • 専門性に特化しつづけることの罠
  • 思わぬところに出番がある
  • 狙わずしてオンリーワン
  • ホームを捨てた結果、全てがホームになった
  • 突破口は足元にある
  • 身につけようとしたスキルより結果として身についたスキルの方が生き残るうえで役に立つ
  • 全てが本業
  • お客さまを味方につけるには共通の敵を見つければ良い
  • 自分を好きになってもらうのではなく、すでに自分のことを好きな人を探す
  • 努力は売上を増やすためよりも自分の幸福度を上げるために
  • 戦う場所は自分で決められる
  • 「ニーズがないから」というのは言い訳である
  • 自分のニーズを最優先すればいいわけである
  • すべてはリミックス
  • コンテンツはできあがってから出すのではなく、出しながらできていく

あまりにも多いので一部のみですが、ベストな方法を求めてその場に留まりがちな僕にとっては耳が痛いと同時に目の覚めるような“喝”をもらえた一冊でした。

いろいろ考えてはいるものの、なかなか最初の一歩を踏み出せていないという方にはぜひご一読を!



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