「逃げる」という言葉には一般的にはネガティブなイメージがありますが、むしろ正攻法なのではないか、と思うことが増えてきました。
最初に「もしかして」と感じたのは、以下の記事でも紹介した家入一真さんのスタイルです。
タイトルは「我が逃走」ですが、これは見方を変えれば「我が追求」でもあると思っています。
はた目には何かから逃げているように見えて、実は別の何かを追いかけている。
「逃げる」はたいていネガティブなイメージがつきまといますが、本能に忠実・自分に正直ということでもあります。
がんばらない、無理をしない、できないことはしない、というスタンス。
例えば「やりたいことをやる」のは「追求」というより「逃走」のイメージが近い感じがします。
自分にとって、がんばらなくても、無理をしなくても、自然にできてしまうことばかりをやっていれば、その逆のこと(がんばったり無理をしないといけないこと)に必死になって取り組むよりも成果が出るまでの時間は短くて済むでしょう。
「逃げるが勝ち」とはまさに至言。
明確なミッションのもと、情熱をもって夢を追求していくスタイルとは対極にあります。
ミッション・ステートメントとやらはいつまでたっても書き上がらないし、特に情熱もない、夢もない。
そんな自分はダメなんじゃないかと思っていましたが、逃げるときには自分でも驚くほどのスピードで即断・即決・即行動ができてしまうことがこれまでに何度もありました。
そのときは逃げるのに必死で深く考えていなかったのですが、瞬間的とはいえ、これほどのパワーが出せるということは原動力となるポテンシャルが自分の中に確かにあるはずなのです。
普段はそれがどんなものなのかを知る術はありませんが、ひとたび「逃げる」シチュエーションになると途端に顕在化する。
そのことを強烈に感じさせてくれたのが以下のアニメです。
がんばれるのは「好きだから」よりも「嫌だから」
そのアニメとは、「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」という作品(現時点で公開中の全12話がプライム対象)。原作コミックは現時点で1巻と2巻のみKindle Unlimited対象。
一般的には「強さ」や「機敏さ」などにバランス良くポイントを割り振っていくところを「防御力」一点にのみ割り振る(極振り)するという著しくバランスを欠いた戦略(?)は、「痛いのが嫌」という逃げが原動力になっています。
- 「勝ちたいから」あるいは「生き残りたいから」という理由で、明確な見通しのもと意図的にバランスを崩すのではなく、
- 目の前の「嫌」からとにかく逃れたいという目先の理由だけで、後先を考えずに刹那的にバランスを崩す。
もはや「バランスが崩れる」ことすら気にしていないのではないか、というくらいの勢いです。
このあたりは、『弱者の戦略』にも通じます。
▼『弱者の戦略』、弱者がしたたかに生き残るための「無理なく続けられる努力」を見つけ出すためのヒント
ナマケモノの生存戦略
- 徹底的に動かない
- 毒のある木の葉をエサにする
- 外気温に合わせて体温を変化させる
肉食動物であるジャガーは動体視力には優れる(動くものは目ざとく見つける)ものの、木の葉の茂った中にいる動かない動物を見つけるのは得意ではないので、実は「動かない」ほうが有利なのです。
しかも、体に生えたコケが茂みの中に身を隠すうえでは好都合。
また、毒のある葉をエサにすることで、他の動物とエサを巡る競争をせずに済むうえに、ほとんど移動しないので食べる量もわずかですみます。
さらに、基礎代謝によるエネルギーの消耗を防ぐために、「体温を維持する」代わりに外気温に合わせて体温を変化させることで、ここでも省エネを実現しています。
置かれた環境の中で確実に生き残るために、自分の身体を徹底的に“改造”して、がんばらなくても暮らせるように最適化しているわけです。
もちろん、ナマケモノが「こうすれば生き残れる」という明確な意図を持ってかかる“戦略”を選択しているのかどうかは分かりません。
それでも、イチかバチかで大勝負に出て一時的に大きく勝つ代わりに、「自分にとって最もエネルギー効率の良いやり方」で小さな勝ちを確実に積み上げ続けるという手堅いスタイルがそこにはあります。
「誰でも楽に成功できる方法」はないが「自分にとって楽に成功できる方法」はある
「この方法を使えば、誰でも楽に成功できる。こんな私でもできたのだから」といううたい文句は疑わしいですが、「あなたにとって楽に続けられる方法を見つけられれば、楽に成功できる」ことはありそうです。
現時点で「楽に成功」できている人は、「誰でも楽に成功できる方法」ではなく「その人にとって楽に続けられる方法」を採用しているはずだからです。
では、その人はいかにしてその「楽に続けられる方法」に辿りついたのか?
それは追い求めたからではなく、逃げ続けたからではないか、と思うのです。
言い換えれば、自分にとっての“安住の地”にまで逃げ延びることができた、ということです。
たとえば、古今亭志ん生。
昨年2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」で興味がわいて以下の本を注文。
800ページ近くある大著でしたが、「いだてん」を観ていたこともあり、ビジュアルを思い浮かべながら楽しく読めました。
古今亭志ん生もまた、ひたすら逃げまくる人生。もちろん運もあったかとは思いますが、途上で幾度となく出会ったであろう「楽に成功できる方法」の誘惑をはね除けて、とにかく逃げ続けたからこそ志ん生になれたのでしょう(まぁ、後からなら何とでも言えますが…)。
同じ落語家つながりで、以下の記事でも紹介した立川こしらさんもある意味で逃げることでアイデンティティを確立していると言えます。
まとめ
「これは逃げなんじゃないか?」と迷うことがあったら、むしろそれはチャンスなのかもしれません。少なくとも「ここで逃げる自分は本当にダメ人間だ…」と考える必要はないと僕は考えています。
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