ふとタイトルが先に目に留まり、ヒトラーのパロディ本かと思ってクリックしたら家入一真さんの本でした。
» 我が逃走
ずいぶん前(2007年3月)に処女作『こんな僕でも社長になれた』を読んでいて、そのときのピュアで等身大な起業家像の描写を清々しく感じていたのを思い出し、「その後」を知りたくて読んでみました。
いろいろと感じるところはあるものの、とりわけ印象に残っているのは秘書の内山さん。
「仕事ができる人」というのはこういう人なのだよな、といたく感心。彼女の視点でこの物語を再構成してみるとまた面白いかもしれない、と思ったり。
2人の視点
同じシーンなのにそれぞれの登場人物の視点から描きなおすと、まったく違った意味が生じる、というコンセプトが好きで、例えば、以下のCMはお母さんと子どもそれぞれの視点のズレが面白いです。
» 早稲アカブランドムービー「へんな生き物」篇
主人公は小学校3年生の男の子、たかし。たかしの不思議な習性を呆れながらも見守る母親。ある日たかしは思いもよらぬ事を母に告げます。そこから、たかしの行動に隠された秘密が明らかになります。
8人の視点
この「ズレ」を活かして、8人の登場人物それぞれの視点で描いているのが「バンテージ・ポイント」という映画。
一つの事件を8人の視点で少しずつ描くことで、その真相を徐々に明らかにしていくというスタイルは、初めて観たときは唸らされました。
同じ時間の流れが8回くり返されるものの、それぞれの「回」はまったく異なったシーンとしてきちんと成立しており、主観と客観の逆転がおのずと盲点を生み出し、物語をぐいぐい引っ張ります。
居場所クエスト
閑話休題。
本書のテーマを一言でいうなら「居場所クエスト」。
著者はひたすら「居場所」を追求しています。
そのとき、僕の中に不思議な感覚が生まれた。
店内にはほかにも、数組のお客さんがいる。みんな知らない人ばかりだ。
僕がつくった僕の店に、僕の知らないお客さんが来て、この店をいいねと言ってくれている。ここで楽しい時間を過ごしたことが、彼女たちの思い出のひとつになる。
そんな居場所を提供していることが、なんだか誇らしかった。
これまで、ペパボにもたくさんのユーザーがいて、僕たちはその人たちに満足してもらうためにサービスを提供してきた。
でも、こんなふうにリアルに、お客さんの生の声を目の前で聞けたことは初めてだ。僕はとにかく衝撃を受けた。
僕はお金を惜しまなかった。
憧れの人たちの仲間入りをするために、お金を使い続けた。実際、とても無計画だったと思うけれど、僕はただ必死だったのだ。
早く自分の居場所をつくらないと、仲間に入れてもらえないような気がして。
パーティが好きで、自分の会社にパーティカンパニーという名前をつけた。家族や、友達や、知り合いのみんなに、楽しい居場所を提供したいという思いで、パーティカンパニーをつくった。
そうこうするうちに、彼以外にも北海道や四国、全国から若い子が僕を訪ねてくるようになり、オフィスはいつの間にか若い子たちでいっぱいになっていた。
彼らの居場所をつくってあげたい。
「……たぶん、これからも僕は、ずっと居場所をつくり続けるんだと思います。遅刻したり、ドタキャンしたり、ほんとダメ人間なんですけど……、でも、ダメっぷりを全開にしながら、全力で走り続けていくと思います」
タイトルは「我が逃走」ですが、これは見方を変えれば「我が追求」でもあると思っています。
はた目には何かから逃げているように見えて、実は別の何かを追いかけている。
「逃げる」はたいていネガティブなイメージがつきまといますが、本能に忠実・自分に正直ということでもあります。
がんばらない、無理をしない、できないことはしない、というスタンス。
例えば「やりたいことをやる」のは「追求」というより「逃走」のイメージが近い感じがします。
自分にとって、がんばらなくても、無理をしなくても、自然にできてしまうことばかりをやっていれば、その逆のこと(がんばったり無理をしないといけないこと)に必死になって取り組むよりも成果が出るまでの時間は短くて済むでしょう。
「逃げるが勝ち」とはまさに至言。
自分の中の“欠落”を探す
著者にとっては「居場所」でしたが、こういうキーワードが見つけられれば、それを突破口に「やりたいこと」が見えてきそうです。
そんなキーワードはやはり過去に落ちているようです。
「家入さんはどうして、人が集まる『場所』をつくりたいと思われるんですか? 何か特別な思い入れか何かあるのでしょうか」
「それは……」
思わず一瞬言いよどんでしまった。そのあとに続けようとした言葉に気づいて、自分でもハッとしたからだ。
「それは……、僕には、『居場所』がなかったからですよ」
ここで僕自身がハッとしたのは、「社会の中の欠落」ではなく「自分の中の欠落」である点です。
「世の中に○○はまだ存在しないから、これを作り出して新しいマーケットを作ろう」
という外向きの拡張ではなく、
「自分の中に○○はまだ存在しないから、これを作り出して新しい自分に出会おう」
という、内向きの深掘りです。
社会を変えたいなんて大それたことは言わない。誰かのためでもない。いろんなことをやってきて、いろんなことを壊してきて。いろんな場所をつくって、いろんな場所から逃げてきて。
それでもまだこの世界に居場所が見つけられない自分のためでいいじゃないか。もっともっと自由になりたい、そんな自分のためでいいはずだ。
自分のためにやっていたことが、いつの間にか誰かのためになる。
逃げていたつもりが、実は追いかけていた。
そんな自然体のままで「やりたいこと」に出会いたいものです。
» 我が逃走
読んでから8年もたっているので、改めて「ビギンズ」にあたる『こんな僕でも社長になれた』も再読し始めました。