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読むことと二つの知的な体力について



倉下忠憲『プルーストとイカ』で有名なメアリアン・ウルフは、新刊『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳』の中で、若者の「読む力」の変化と、それを取り巻く環境についてさまざまな角度から問題提起をしています。

紙が当たり前だった時代から──紙しか選択肢がなかった時代から──、むしろスクリーン(デジタルディスプレイ)での情報摂取の方が多くなる時代へと移行しつつある中で、私たちの読む力が変化し、それが他の心の能力にも変化を与えるとすれば、性急に足を進めるのではなく、一度腰を落ち着けて私たちと読書の関係とその未来をゆっくり考えてみようではないか。そんな風にウルフは誘っています。

どうでしょうか。

上の段落を斜め読みしているとしたら、まさにそれこそが私たちに起きている変化ですし、これからの世代でますます加速していくであろう傾向でもあります。

侵食する早くて浅い読み

ウルフは以下のように書きます。

中心的問題は彼らの知力ではなく、おそらく、彼らがさまざまな書き方に精通していないことでもありません。むしろ、難しい批判的分析思考に対する認知忍耐力がないことと、それと同時に認知的持久力を獲得していないことに、もどるのかもしれません。認知的持久力は、心理学者のアンジェラ・ダックワースが「やり抜く力」と呼んだことで知られるもので、避けられているまさにそのジャンルによって育まれます。

この文章で「彼ら」が含意するのは若者のことですが、はたしてそれは若者だけの問題でしょうか。「難しい批判的分析思考に対する認知忍耐力」と「認知的持久力」──この二つの知的な能力(いっそ知的な体力と呼んでもいいでしょう)を、健全に維持していると言えるでしょうか。

複雑なものを読み解くことができない。あるいは一つの対象に注意を向け、考え続けることができない。そのような状態になっているのではないでしょうか。

斜め読み、あるいは見出しだけをさっと拾う読み方。さらに言えば、記事のタイトルだけを読んで、内容をわかったつもりになること。そのような読み方は、情報が溢れかえるインターネットに適した読み方だと言えるでしょう。

検索し、ぱっと目についたもの、目を引いたものを流し読みし、自分が理解できる部分だけを拾い読みする。そうすれば大量の情報だってうまく捌いていくことができます。むしろ、そうした読み方ができないと、情報洪水の流れに逆らって泳ぐのはとうてい無理でしょう。よって、そのスキルは現代では必須のものだと言えます。

しかし、その読み方は、ディスプレイの中に留まってくれているとは限りません。マクルーハンが言うように、メディアはマッサージであり、私たちの認知の有り様を塗り替えてしまうだけの力を持ちます。

つまり、インターネットに適した読み方ばかりをしていると、それが「デフォルト」となってしまいじっくり読む必要のある本の読み方にも同様の読み方を適用し、それが加速するとそうした読み方に適した本ばかりを読むようになってしまう。結果、本を書く方も斜め読み方に適した内容を書くようになっていく。

そのようにして、あらゆるものが複雑さ・精緻さ・微妙さからどんどんと遠ざかっていきます。

それが引き起こす社会的な問題については、ウルフが『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳』内で指摘しているので言及は控えるとして、少なくともそのような姿勢では、とても知的生産を深く行うことは不可能だという点をここでは指摘しておきたいと思います。

薄い個性のアウトプット

斜め読みですばやくインプットする行為は、あえて言えば「浅い読み」だと言えます。情報を手早く入手できる代わりに、その情報に対する考察・分析は小さく、また理解の奥行きや解像度も低い状態にとどまっています。

そんな状態で行われる知的生産は、内容もわからず適当にWikipediaからコピペして論文を作る大学生と何ら変わりありません。

また、浅くしか読めない状態(知的体力が弱い状態)は、自らの思考をじっくり立ち上げていく力が弱いことも意味します。結果、どこかで聞いた話を大量に生産して、「自分はアウトプット力があるのだ」と勘違いしてしまう事態も起こるでしょう。その人の奥底にある考察を経ることなく、誰にでも書けることが単にその人の文章で表されているだけのアウトプットは、たしかに「個性的」なのかもしれませんが、その濃度は極めて薄いものです。

難しさ・わからなさに向き合う力

新しいものを生み出す際には、未知と付き合う力が必要です。その力が知的体力だというわけです。

難しいから、考える。
わからないから、理解しようとする。

このような知的営為によって、思考は広がり、思索は深まっていきます。浅く読むのと同じように、自分の思索も浅くしかなぞれないのであれば、出てくるアウトプットの「底」が知れているのは当然のことでしょう。

本を紙で読むのでも、電子書籍で読むのでも、どちらでも構いません。ただ、一文一文とゆっくり付き合い、その向こう側にある著者の声にゆっくり耳を傾けるような読み方をしない限り、鍛えられない知的体力というのはあります。

これからの読書について考える上では、まずその点を認識しておく必要があるでしょう。

▼参考文献:

読む(読字)という行為が、私たちの脳にとってどのような影響を与えるのか。ディスレクシア(読み書き障害)に関心を寄せる著者が、脳と読書の関係を考察した刺激的な一冊です。



▼今週の一冊:

こちらも読書関係の一冊。古い新書ですが、現代の読書についての警句としても十分役立つ一冊です。



▼編集後記:
倉下忠憲



なんとかこうとか地味な執筆を続けて、ようやく『僕らの生存瀬略』第一章の終わりが見えてきました。まだまだ道のりは遠いですが、最初の一里塚が見えてきた気分です。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中