いろいろな人の自伝を読むのが好きで、最近は『トコノクボ』を読みました。人の数だけヒストリーはあるわけですが、どのヒストリーにも共通するのが「何がきっかけになるかは事前には分からない」ことです。
イラストレーター・法廷画家・漫画家の榎本よしたかさんが自身の半生をつづるコミックエッセイで、イラストの巧さもさることながら、不遇から這い上がっていく展開にはぐいぐい引きつけられます。
フリーランスで仕事をしている人はもちろん、フリーランスを目指している人には特に響くところが大きいでしょう。
僕自身も、会社を辞めて今年で20年目ですが、「これはあるなー、こんなことあったなー」と共感するシーンが多々ありました。
読み進めながら「榎本さんに比べたら自分はけっこう恵まれていたかも」と感じるところもありつつ「いやいや、榎本さんめっちゃ持ってるわー」とうらやましく思うシーンも。
そんな榎本さんにとっての「何がきっかけになるかは事前には分からない」なシーンは、カルチャーセンターで風景絵画教室を開いていたら、テレビ局から仕事の依頼が舞い込んだくだり。
事前に分からないから面白い
あらかじめこのタイミングでこれをやっておくと、3週間後に○○という人から電話連絡が入る。その連絡に対して、××というキーワードを告げると、次に何をすればいいかを教えてくれる。
…といったシナリオが事前に分かっていたら実につまらないと思うのです。ミステリー作品は事前情報に一切触れずに観るからこそ楽しめるように。
試行錯誤する中で、思い通りにいかず悶絶しそうになりながら、「もはやここまでか…」というタイミングで「え? いま?」という不意打ちのような果報がもたらされる。
榎本さんにとっては、月1回のカルチャーセンターでの風景絵画教室の講師業がその「不意打ち」に至る伏線でした。「絵を描く能力が人の役に立つのは純粋に嬉しかった」と書かれているとおり、本人はそんな展開が待っていることは知るよしもありません。
テレビ局側は、急病で亡くなった法廷画家の後任を探しており、「きちんとしたところで絵画教室を開いている人なら信用できるだろう」ということでカルチャーセンター経由で榎本さんに連絡をしたのだとか。
むろん、「カルチャーセンターで仕事をしていれば、こういうこともあり得る」という淡い期待を抱くことは可能でしょう。
でも、これは自分でコントロールできるものではありませんし、限られたリソースを配分する先としてはギャンブルすぎるので、より安パイのコントロールの余地が大きいところに引き当て済みのはずです。
和歌山在住だった榎本さんの場合は、東京で開催された「イラスト進歩ジウム」セミナーに通うという行動がまさに引き当て先でした。
何がキッカケになるかは「そのとき」になるまでは分からない
あるいは、ずっと分からないままかもしれないこともあるでしょう。
そうなると、とにかく試行回数を増やすことが唯一の戦術ということになります。
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頭にたたき込んでおいてほしい。何度となく“表”を出すコインの投げ手は、何度となく投げているのだということを。そして、チャンスの数が十分にあれば、チャンスはきみの友人になるのだということを。
とはいえ、苦しいことや負担が大きいこと、気が進まないこと、やっていてつまらないことなどは続きません。
必然の結果として、負担が気にならないくらい楽しいこと、寝食忘れて没頭できること、やっていて面白いと感じることにおのずと引き寄せられていくことになります。
「いや、楽しいのは良いんだけど、こんなことをしている場合ではないのに…」と焦りを感じるときほど、むしろ正しいルートを進めているときかもしれません。保証はできませんが!
参考文献:
漫画ではデフォルメされていますが、ご本人はイケメン!
旅先での「出会い」もドラマチックでした。ドラマ化されたら絶対観ます。