以前、「好きなことだけして食っていく」ことはできない、という記事を書きました。その後も「好き」と「仕事」の関係について断続的に考え続けてきましたが、先の記事で達した結論は変わっていません。
ただ、この「好き」の正体が当時よりも鮮明になり、考えが進んだという実感がありますので、そのあたりについて書いてみます。
まず、「好き」を仕事にすることを強くすすめる本をいくつかご紹介します。
億万長者になる方法
以下、『宇宙スイッチ』という本からの引用です。
昔、スカリー・ブロトニックは、1500人の被験者を使ってある研究を実施しました。研究の参加者はふたつのグループに分けられました。グループAは、まずお金を儲けてから自分の好きなことをやりたいという人々で、人数は1245名でした。
後の255名のグループBは、まず自分の興味のあることを追求していれば、お金は後でついてくる、と考えていた人々です
結果はどうなったでしょう?
20年後、グループ全体から101人の億万長者が生まれましたが、グループAからはひとりだけで、残りの100人は、情熱を追い求めればお金は後からついてくると考えていた、グループBの人々でした。
ここにはお金を引き寄せる、もうひとつの鍵が隠されています。
お金を引き寄せたければ、お金そのものではなく、お金を引き寄せる原因となりうる自分の情熱にフォーカスせよ、と解釈しました。
「好きなこと」ではなく「儲かること」をやろうとすると失敗する
『残酷な世界で生き延びるただひとつの方法』にもこれと似た話が出てきます。
アメリカの有名大学でMBAを取得した優秀なひとたちが、最新のマーケティング理論を引っ提げて起業に挑戦するけれど、ほとんどは失敗する。それは彼らが儲かることをやろうとして、好きなことをしないからだ。
それに対して「好き」を仕事にすれば、そこには必ずマーケットがあるのだから空振りはない(バットにボールを当てることはできる)。ほとんどのひとは社会的な意味での「成功」を得られないだろうけど、すくなくとも塁に出てチャレンジしつづけることはできる。
必ずしも「成功」するわけではない、というあたりが辛口ではありますが、「儲かること(お金)」ではなく「好きなこと(情熱)」に注目せよ、ということで方向性は一致しています。
この話にはまだ続きがあります。
もちろんこれは、すべてを解決する万能の処方箋じゃない。バイク便ライダーは、「好き」を仕事にしているけれど、数年で身体をこわして辞めていく。いったいどこが間違っているのだろう。
それは彼らが、「好き」をビジネスにする仕組みをバイク便会社に依存しているからだ。会社はライダーたちを搾取しているわけではないけれど、彼らの幸福のために存在するわけでもない。
「好き」を仕事にしたいのなら、ビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で設計しなくてはならない。
「好きなこと」を仕事にするのは、実はそう難しいことではありません。問題は、それを長期的に仕事として成り立たせ続けること、すなわち仕組み作り、システム作りです。
「好き」で「食う」ためには3つの要素が必要
『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』では、まさにそのシステム作りの方法が解説されています。
さて、自分が好きなことで食べていくために重要なことは、実は「何か価値のあることができる」ということではありません。それは「好き」で「食う」ために必要な要素の一つに過ぎません。
この点をたいていの人は見誤っているのですが、特に独立して事業を始める際には、「何かができる」こと、つまり、「バリュー」が一番大事だと考えがちです。
バリューとは、あるスキルや商品の価値であり、これが売り上げや利益に直結すると考えられます。
でも、僕は「好き」なことで「食う」には、バリューの他にも2つの要素が必要だと思っています。
それは、「システム」と「クレジット」というものです。
以下の記事でも書きましたが、何を仕事にするにしても、まずは「好き」から入るしかありません。それがいつしか「得意」に転化するのです。
最初はどうしても「好き」から入るしかありません。
「(今は)できないけど、とにかく仕事にしたい!」という“情熱”によって、いつしか「得意」に変化することもあるでしょう。
そういう意味では「好き」はフェロモンのようなものかもしれません。最初は色も形もない「使命感」に自分を引き寄せる役割を果たすからです。何のきっかけもなく不意に使命感に目覚めることはないでしょう。
「好き」から入って、付き合っているうちに「使命感」に触れ、そこから先に進みたいと思えれば、ギアを「得意」に切り替えますし、「好きのままにしておきたい」のなら、その場にとどまります。
ここで言う「得意」が「バリュー」に当たるでしょう。「好き」で「食う」ためには、「得意(バリュー)」を明らかにする必要がありますが、それだけでは足りない。
「バリュー」に加えて「システム」と「クレジット」という“三種の神器”を揃えないと前に進めないのです。
「クレジット」とはアクセス数×評判
「クレジット」については、『そろそろ会社辞めようかな~』でも「長くなるので」ということで割愛されていますが、本書については以下の記事で取り上げており、その中で僕なりにですが補足しています。
バリューが商品なら、システムは販売サイトということになります。クレジットはサイトで言えばアクセス数×評判で、アクセス数が多くても評判が悪ければ下がることになります。逆にアクセス数が少なくても評判が良ければ上がります。
知る人ぞ知るサイトでも熱心な読者に愛されていれば、そこで販売される商品の売れ行きも良くなるのです。
従って、どんなに良いコンテンツ(バリュー)を持っていてもそれをキャッシュに換えるためのシステムがないと食べていけませんし、システムがあってもクレジットがなければ続きません。
コンテンツとクレジットは一朝一夕には作れませんが、システムは人から買ったり借りたり真似したりすることでスピーディーに取り入れることができます。
そう考えると、時間をかけるべきはコンテンツとクレジットということになります。
人は「システム」に走りすぎる
一方「システム」は、「人から買ったり借りたり真似したりすることでスピーディーに取り入れることができます」ので、時間のかかるバリューとクレジットよりも目が行きやすくなります。タスクとして、手を付けやすいからです。
言ってみれば「稼ぎ方」です。
「たった2週間で100万円を稼ぐ方法」「1日2時間で年収1億円」といったキャッチコピーに惹かれやすくなるのです。
もちろん、こういった“ノウハウ”をきちんと身につければ、本当にそれだけのお金を稼げるのかもしれません。
でも、人がお金を払うのは「システム」が良いからではなく「バリュー」や「クレジット」に惹かれるからでしょう。
買い手に対して「本当に、たった2週間で100万円を稼げそうだ」「1日2時間は無理でも4時間かければ年収1億円いきそうだ」という期待を抱かせられるとしたら、それは売り手にそれだけの「バリュー」や「クレジット」があるからにほかなりません。
買い手が「システム」を手に入れてまずすべきことは、自分ならではの「バリュー」を組み込んで“起動”させることです。
SIMカードを挿すのに似ています。そうして初めて、自分のビジネスの“アクティベーション”がおこなわれるからです。
ところが、なぜか「システム」を使いこなすことの優先度が上がってしまいます。最初はそうは思っていないのですが、「システム」を使いこなしさえすればお金が稼げるようになる、という風に気づかぬうちに考え方が変異してしまうのです。
「好き」を「仕事」にしようとしていたのに、「お金を稼ぐこと」に流されてしまうわけです。
「ありのままの自分」に目を向ける
「システム」も大事ですが、それ以上に大事なのは自分の「バリュー」です。
自信を持って「これだっ!」と言える「バリュー」があれば、それをもっと多くの人に知って欲しい、使ってみて欲しい、そうすることで人の役に立ちたい、という気持ちが自然とわいてきます。
では、どうすれば「これだっ!」と言える「バリュー」が作れるのか。
たまたま読み返していた、6年前に読んだ本にそのヒントがありました。『生まれ変わっても、この「仕事」がしたい』という本です。
前述したように、私たちにはさまざまな役割があります。そこで、それぞれを自己採点してみましょう。私なら、次のような点数がつきます。
- 働いている自分 …… 70点
- 夫としての自分 …… 50点
- 息子としての自分 …… 40点
- 日本国民としての自分 …… 60点
では、それらの役割の真ん中にある、「ありのままの自分」は何点でしょうか? そう、誰もが皆、ありのままの自分はまちがいなく「100点」なのです。
ここを「60点」「70点」と、100点以下で考えている人は、今すぐ「100点」と思い直しましょう。ありのままの自分が欠けている人なんていないのですから。
「ありのままの自分」は100点、というくだりにグッと来ました。
自分の核心にある最もホットな「ありのままの自分」を「バリュー」に転換できれば、それは結果として「好き」を「仕事」にすることになるのではないでしょうか。
実はこの引用箇所は2年前に別のコンテクストで取り上げていました。
何を記録に残して、何を記録に残していないかがわかれば、「思い出せなくなっている記憶」のしっぽをつかむことができる。
これが「ありのままの自分」の実体ではないか、と僕は考えている。
「好き」を「仕事」にするには、自分のことをよく分かっていないといけない、ということです。
しかも「ありのままの自分」のことを、です。
上記の記事にも書いていますが、それを知るためにはコツコツと記録とふり返りを続けることが必要だと思います。
他人がどんなに「この方法でうまくいった!」と喧伝していたとしても、それに惑わされることなく、自分の中にしかない「ありのままの自分」を発掘し続け、そこから自分にしかできない「バリュー」を紡ぎ出していく。
うまくいったという誰かのやり方をそのままコピーしても、コピー元よりもうまくいくことはありません。コピー元よりうまくいくとしたら、そこには必ず何か新しい要素、すなわち自分だけのバリューが加わっているはずです。
バリューを作り出し、これを更新しつづけること。それが最強の「システム」になるのではないかと考えています。
「これだっ!」と言える「バリュー」を作るためのヒント
この本を読み返していたら、さらに別の本を思い出しました。『マイ・ゴール これだっ!という「目標」を見つける本』という本です。
その名の通り、「これだっ!」という「目標」を見つけるための本です。
目標がなぜ重要かというと、それが道しるべになるからです。
『マイ・ゴール』には次のように書かれています。
はっきりとした「これだっ!という目標」を持っていない場合、すべての生物の持つ「生きる!」という生存本能に従った目標以外は、他の誰かの目標に引きずられる場合がほとんどだ。
目標を設定しないと、漂流してしまいます。
目標を設定すれば、意識はおのずとその達成に向かいます。
目の前に見えている景色は目に入ってきますが、気持ちはそのずっと先にある目標をとらえようとします。
目標が設定されていないと、意識はさまよい始めます。
目の前に何か気を引くものが現れれば、まっしぐらにそこに向かって行き、また別の何か気を引くものが現れれば、今度はそちらに向かう。
その時その時は強い充実感を覚えますが、刺激がなくなると、次は何をすればいいのかがわからなくなり、停滞してしまう。
目標を設定した状態は、カーナビに目的地を設定したうえで車を走らせている状態に似ているでしょう。
道中に何か気になるものがあっても、とらわれにくくなります。「うまくいったという誰かのやり方」に代表される余計な刺激にいちいち惑わされなくなるので、本来すべきことに集中できます。
何が「本来すべきこと」なのかは、設定した目標に向かって走り続けることでおのずと明らかになります。
「これだ!」と思って走ってみた結果、逆に目標から遠ざかったのなら、「コレジャナイ」ということで、次の「これ」に取り組みます。
このような試行錯誤を繰り返すうちに本当の「これ」が浮かび上がってきます。
このときの「これ」こそが「本来すべきこと」です。
そして、この「本来すべきこと」がまさに「バリュー」に当たると思うのです。
これが決まらなければ、いくら「正しい」あるいは「儲かる」とされるやり方を学んでも前に進めないでしょう。
『マイ・ゴール』では、エジソンとチャップリンについて次のようなエピソードが紹介されています。
今から100年前『サクセス・マガジン』のインタビューで、記者に対してエジソンは次のように答えている。
「私は1パーセントのインスピレーションがなければ、99パーセントの努力は無駄になると言ったのに、世間は私の言葉を勝手に都合のよい美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」
(中略)
「天才とは、1パーセントの才能と99パーセントの努力だ」と言ったチャップリンも、1パーセントの才能の意味も「才能がなければ努力は無駄だ。そして、その才能がある上で努力をすることが成功の秘訣である」と言っている。
もちろん努力はいかなるときにも絶対に欠かせない成功要因であることは言うまでもない。
そして成功は「何を、どのようにやるのか」にかかっている。「どのようにやるのか」ということを、惜しみない努力とするならば、問題は「何を」に相当する、努力の対象の選択である。
つまり、「何を」とは仕事の選択であり、目標の設定のことだ。エジソンにとって「何を」は発明の道であり、チャップリンは喜劇の道だった。
469個の質問に答える
そんな『マイ・ゴール』ですが、438ページのハードカバーの大著。ちょっと手を出しづらいと感じられるかもしれません。
そこで、内容をかんたんにご紹介しておきます。
本書は大きく分けて3つのパートからなります。
- 1.理論編
- 2.ストーリー編
- 3.実践編
半分以上はストーリー編が占めています。このストーリーがよくできているので、まずはここから読み始めます(理論編はストーリー編を読んだ後でOKです)。
ストーリー編を引き込まれるようにして読み進めていくと、最後に実践編が待っています。
実践編には469個の質問が用意されており、この質問に答えていくことで目標が浮かび上がってくる、という仕掛けです。
ワークショップなどでこの本をよく紹介するのですが、移動中や空き時間などに少しずつ取り組むという方が多いようです。
「ぼくのバリューはいったい何だろうな~?」と当てもなく漠然と考えるより、具体的な質問に向き合い、これに答えることを通して考えるほうが早く答えが見つかるでしょう。
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努力は大切ですが、「血のにじむような努力までしなくても結果が出せる場所」を選ばないと、血みどろになったうえに惨敗する、という残念な結果になります。
最近このことについて改めて「そうだな」と思ったのですが、それは以下の一文を目にしたからです。
自分がいくら適正価格だ(これ以上負けられない)と思っていても、相手から「高い」と思われていれば売れません。
「安い」とまではいかずとも「これなら安心して支払える」と思ってもらうための工夫は必要です。
こちらでも取り上げた『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』という本に鮮やかな工夫がありました。リブセンスという会社の事例です。
自分の利益を増やすことではなく、商品・サービスを受け取った人の「得」を第一に考えることで、買う人が増え、結果的に自分の利益が増える、という構図です。
いくらにすべきかという問題を単一の問題として考えている限り、答えは出ません。その商品やサービスに関わってくる人たちすべての問題(=損するか得するか)を考えていくことで、あるべき価格はおのずと弾き出されてくるのです。
損して得取れ、と言いますが、損ばかりでいっこうに得が取れないのであれば、考え方とやり方を改める必要があります。
サービス提供側である「自分」と、提供相手である「お客さん」の損得を考えるために、以下のようなマトリクスに整理してみました。
このようにして発掘したこと、言い換えれば「自分が達成してきたこと」を世の中に示すことができれば、そこから可能性が広がっていきます。
マスメディアで取り上げられやすい人は、この「自分が達成してきたこと」すなわち「ファインプレー」をうまく表現できた人である、と言えるでしょう。
以前はマスメディアに積極的に売り込むか、あるいは向こうから見つけてもらうのを待つしかありませんでした。
今はもっと手軽にできる方法があります。
それはブログを書くことです。
大学時代の僕に不足していたのは、時間ではなく何か1つに絞る勇気でした。思えば、中学時代は、勉強そっちのけでグラディウスに全力投球。成績はぐんぐん下がっていきました。それでも意に介さずグラディウスに絞れていたのです。
一方、大学時代は「あれもこれもやりたい」ということで時間もパッションも分散してしまい、今思えば、どれもこれも生煮え状態になっていました。
「今やりたい!」という衝動、最初はなかなか抑えられないかもしれませんが、慣れてくれば「あとで確実にチェックすることになるから」という安心感が得られるようになり、目の前の仕事に集中できるようになります。
過去の記録を把握し、これを未来に投影すれば、そこに現れる影が計画になる、というわけです。ここに経験と勘を加味することで、計画の実現性は高まります。
とはいえ、経験と勘は計画の実現性を高めはするものの、計画の材料にはなりません。材料はあくまでもソリッドな記録であり、これがなければ経験と勘というフレーバーは役に立ちません。