ランニングを始めたのは2009年4月。最初はランニングにならずにウォーキングだった。
社会人になってから運動らしい運動をしていなかったので、一定時間ずっと走り続けるという行為の辛さを思い知らされた。それでも、少しずつウォーキングにランニングが混じるようになり、次第に完全なランニングができるようになった。
最初のうちは走ることに精一杯で他に何かをしようという気は起きなかったのだが、慣れてくると退屈さを覚えるようになる。このあたりはクルマの運転に似ている。慣れないうちは運転だけしかできない。
走りながらいろいろなことを試してみたが、一番よかったのはオーディオブックを聴くこと。移動中に聴くのもいいが、もとより外出が少ないのでなかなか話が進まない。ランニングなら毎日一定時間が確保できるので、どんどん消化できる。
何よりの発見は走っているときは普段とは違った思考ができるということ。一時的であれ仕事から離れているので、ロックが外れて気持ちもほぐれ、耳から入ってくる情報に対して心を解放しやすくなるようだ。
また、走りながら音声を聴いていると記憶に残りやすいという発見もあった。走っているとどんどん風景が流れていくが、目にした風景と耳にした言葉とがセットで記憶に残り、次に同じ風景を目にしたり、あるいは思い浮かべただけでも、その風景を目にしたときに耳で聴いていた音声がふっと出てきたりする。
そして、走ることは途中で足を止めないということであるという当たり前のことにも、実際に走ってみて改めて気づいた。一度止まると勢いが失われてしまうので、可能な限り走り続ける。そのためには自分にとって最適なスピードと効率の良い呼吸、手の振り、足の運びを見つける必要がある。
走るというシンプルな行為から得られる学びは実に豊か。
走る時間がもったいない、と走る前は思っていたが、
走らないでいるのはもったいない、と走り始めてからは考えを改めた。
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ビジネスは、「時」が熟すのを待っていてはモノにならない。起業戦士は自らが「時」をつくる存在なのだ。「時」をつくれば「運」もついてくる。だからこそ、僕はつねづね起業仲間に言う。
「ついてないときこそ走れ。走りながら戦略を考えるんだ」と。
「企業」は“人を止める”と書き、「起業」は“己が走る”と書く。起業戦士は走り続けなければ、戦いに負ける。走り続けながら「運」を引き寄せていけばいいのだ。ただし、これは決して「理」がないのにやみくもに戦いをしろ、という意味ではない。起業家は「理」があれば、無理をしてでも新しいことをやるくらいの馬力がなければダメだということだ。(p.82)
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