一日生きることは、一歩進むことでありたい。
─湯川秀樹
進むことばかりを考えていても前に進めない。息を吐く前に吸うのと同様、進むためには“踏ん張り”が要る。そして、進むことができていることを自覚するには、記録が欠かせない。
人は、堂々巡りしているようで少しずつ進んでいるもの。非常に大きな螺旋階段を登っていることに喩えられる。螺旋階段の姿は記録から浮かび上がる。
以下、『日記の魔力』より。
多くの人は、昨日と今日は変わらないと思っている。
だが私は、本には変わらないつもりでいても、絶対に変わっていると思っている。
この「絶対に変わっている」という自信が大切なのだ。しかし、日記をつけないかぎり、その自信は得られない。
毎日同じ24時間、自分も変わっているようには見えないし、女房も同じ顔をして同じようなことをしている。
だから昨日と今日は同じ、と思ってしまうのだが、それは観察が粗くて気づいていないだけなのだ。日常を細かく観察していけば、変化は必ずある。
私は、人生におけるさまざまな事実については、すべて日記に書く値打ちがあると思っている。
だから、できるだけ細かく記録しているのだ。事実はすべて書く価値がある。
そうはいっても、一日の行動をすべて日記に書くことはできない。
1日24時間の行動を細大漏らさずすべて書いていたら、翌日の24時間が日記を書くことで潰れてしまう。そんなことをしていたら、その次の日は、一日中昨日の日記を書いていたと書かなければならなくなる。
そこまで極端でなくても、やはり日記に書く内容は、ある程度取捨選択する必要がある。では、何を捨てて何を書けばいいのか。
この答えは一人ひとり違ったものになる。
自分にとって必要なこと、自分にとって大切なことを書けばいい、というのが答えだから。目安をつくるとすれば、「書いておけばよかった」「書かずにもったいないことをした」と、あとで後悔しないように、ということだろう。