中世の王侯貴族は、常に道化師をはべらせていました。道化師の役目は、真実とは何かについて、ほかの人が恐れ多くて聞けないことを質問することです。これは、イエスマンばかりに囲まれた王侯貴族にとって、真実を見失わないための一種の保険のようなものでした。
人が恐れるものの1つに「否定されること」がある。巷に売られている本に書かれていることの多くは、煎じ詰めていけば「否定されないようにするためのコツやアイデア」ではないかと思われる。
知識を身につけることで優位に立つことができる。そしてより多くの否定をすることができるようになる。否定されないためには先に否定する、すなわち攻撃は最大の防御という戦術を採用することになる。
とは言え、知識を身につけることには、相手と論戦で勝ち続けるため、というより自分が信じているところのものを否定するためという期待もある。本を読んで「なるほど!」と感じるのは、それまでの自分の知識が否定されるからであり、ここにも「否定されないために、否定する」という構造が横たわる。
そう考えると、人に否定される前にどれだけ自分で自分を否定できるかが学ぶべきことではないかと思えてくる。