ド忘れして落胆する前に、まず心に留めてほしいことは、子どもと大人ではそれまでの人生で蓄積した記憶量が異なるという点である。100個の記憶から目的の1つの記憶を探し出すのと、1万個の中から検索するのでは、かかる労力や時間に差があって当然というもの。
大人のほうが多くの記憶が脳に詰まっているのだから、子どものようにすらすら思い出せなかったとしても仕方がない。これは大容量になった脳が抱える宿命なのだ。ド忘れしたときには「それだけ私の脳にはたくさんの知識が詰まっているのだ」と前向きに解釈するほうが健全だろう。
ExcelでもテキストエディタでもWebブラウザでも、PCで作業をしている時は検索コマンドを使うことが多い。画面の中にその単語があると分かっていても、目で文章を追っていくよりも、多少手間が掛かってもキーボードから目的の単語を(その一部でも)入力して検索した方が速いうえに、目を疲れさせることもなく、さらに余計な情報を目に触れさせずに済むというメリットもある。
目的の単語を求めて目を走らせていく過程ですれ違う大量のノイズ情報こそがド忘れを誘発する。それがド忘れという形で現れなかったとしても、別の興味をかき立てられて、脱線していく可能性は大いにあり得し、実際やってしまうことがある。
もちろん、そうした脱線の中で出会える貴重な“一期一会”もあるとは言え、脱線を繰り返しているだけではどこにも辿り着けない。少なくとも自分が成し遂げたいと思っていることは。
以上のことをド忘れしないように心がけたい。
» 脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?