ある日、私は、本棚の整理をしていて、最初のほうを少しだけ読んで、そのまま放ってある「読みかけの本」が意外とたくさんあることに気づいた。
30冊ぐらいかな、と思い一覧表をつくってみると、なんと90冊もの本が読みかけのまま放ってあることがわかった。
これはいけない、「最後まできちんと読もう」と決意したのだが、実はここからが大切なのだ。
「最後まできちんと読もう」だけではダメなのだ。
ここで終わってしまうと、きちんと読もうと思っていたのにできなかった、ということになる。
(中略)
どんな本でも50ページまで読むと、その本の全体像が見える。小説なら登場人物がほぼ出そろい、事件の状況も見えてくる。学術書でも、50ページを越えると展開がつかめるので、ぐっと読みやすくなる。
逆に、50ページまで読んでおもしろくない本は、読まなくてもいいということにもなる。
50ページが自分の読書の分岐点となっていることを発見したのだ。
だから私は、とにかく50ページまでは一気に読むことにした。
10ページちょっとでやめていたのでは、結局最初から読み直すことになってしまい、それが何十冊にもなれば、膨大な時間をロスすることになるからだ。そこまでの具体性をもたせてから、「今日から本は50ページ読む方針を立てた」と日記に書くのだ。
この50ページという明確な目標ができたおかげで、それ以降今に至るまで、私の本棚には読みかけのまま放ってあるという本は激減した。
『日記の魔力』より
失敗から教訓を引き出し、これを未来に活かすべく決心をする。この決心が“実用性”に乏しければ、せっかくの教訓が活かされることなく、従って失敗という投資からは何らリターンが得られなかった、ということになる。
そればかりでなく、「自分で決心したことを守れなかった」という、自己愛へのダメージも上乗せされる。
これが繰り返されると、うかつには決心しなくなる。しかし、決心のないところに挑戦はありえず、挑戦のないところに張り合いは生まれず、張り合いのないところに自分の存在意義は根を下ろしにくく、従って、常に漠然とした不安とともに暮らすことを余儀なくされることになる。
決心の実用性を高めることは、この状況を根底から好転させるきっかけになりうる。