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あえてルールで自分を縛る

By: susieq3cCC BY 2.0


人間はどうしてルールを作るのでしょう。私は、集団の中でルールが自発的にできてしまうことをとても面白く感じています。そのルールは、ともすると、とても滑稽で、冷静に考えたら理不尽なことさえあります。

たとえば、サッカー。私たち人間は両手を自由に使える動物なのに、それをあえて使わないことにして、足でしか競技できないスポーツにしています。そういう風変わりなルールが、集団の中で自然に生まれてくるというのが不思議です。

(中略)

一つ言えることは、ルールを加えることによって、社会が面白くなるというのはあります。逆にいえば、ルールがない無秩序さ、ルールがなくなることのつまらなさ、というのも何となく理解できます。世界中のスポーツを見ると、ルールでわざと不自由さを作っていて、<不自由さが生む面白さ>を人間は楽しむ余裕を持っているように思います。



『脳はなにかと言い訳する』より


人は自由を渇望する一方で、いざ何でもできる自由を与えられると、結局何もできないということが少なくない。制約があるからこそ、その制約の中で何とかできることを探し出して、できうる方法で、できうる限りのことをやろうとする。

意識の上では障害や困難を回避しているように見えて、意識の下では好んでそれに接近していっているという相矛盾した2つのベクトルの中点に、ぴんと張られた均衡状態を作り出し、ここから得られる張力を推進力に変換しているのではないかと考えられる。

均衡状態は、文字通りバランスが取れた状態であると同時に、いつ切れても不思議はない脆さも兼ね備える。それゆえ、時折これを緩める、すなわち、あえてバランスを崩して弛緩した状態を作ることで、次の張力を生み出すための力を充てんする。

» 脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?