かつて日本の大手生命保険会社に入り、ほどなくして独立を果たした学友の言葉をふと思い出した。
学校の先生も銀行員も商社マンも、本当に自分がやりたいのは、いわゆる先生、銀行員、商社マンじゃない。自分ブランドの先生であり、銀行員であり、商社マンだろう。だいたい、今、この世の中にあるもの全ては、自分達よりも前に生まれてきた他の誰かが作り上げたものじゃないか。ある時期、あるところでそういうことを仕事にしてみたいと思った他の誰かがそれを今ある形のものに作っただけに過ぎない。
誰かが作ったテンプレートを生きるのか、自らテンプレートを作るのか。「自分」というのは世界に1つしかないテンプレートのようなもので、誰もが「自分」という生きるテンプレートを世に問う可能性を秘めている。
やりたいこと、というのは、すでにあるものの中から選ぶのではなく、自分で見つけたり作ったり、後から「これだったのか」と振り返って気づくものだと思う。テンプレートの存在自体は自分では気づきにくいのかも知れない。
映画「フォレスト・ガンプ」で、ひたすら無心に走り続ける主人公がふと振り返ると、後ろには大勢の人が付き従って走っている、というシーンが思い出される。
与えられた選択肢の中から選ぶことに人はすっかり慣れてしまっている。選択肢から外れることは非常に抵抗を感じる。何かやろうと思っても、やる前から出鼻をくじかれたり、芽を摘まれたりもする。新しいことや人がやっていないことをやるのは勇気が要る。
でも、他人を生きるのもそれなりの勇気が要ると思う。一緒に他人を生きてくれる人がたくさんいるという違いはあるにせよ。
そういえば、長嶋茂雄氏の職業は「プロ野球選手」ではなく「長嶋茂雄」なのだとか。