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発見をシェアすることで喜んでくれる人がいる



大橋悦夫発見をシェアすることで喜んでくれる人がいる、一方で、「今さらその発見?」という声なき声も同時に生み出してしまう。

でも、喜んでくれる人がいるならシェアする価値がある。

なお、知らず知らずのうちに自分が「声なき声」の主になっていることもある。

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「こんなことも知らなかったのか?」と思われたくないのです。

本心としては「知らなかった! すごい!」とだけ思われたい。そうなると「みんなに知られていなくて、自分だけが知っていること」を探す旅に出ることになるですが、そんな都合の良いものがそうそうあるはずもありません。


「知ってたけど、以前やってみてうまくいかなかったから放置してた。この記事読んだら、もしかしてできるようになってる? ということで、改めてやってみたらうまくいった。なんでだろう? でもまあいいか」

…のような展開もあるかもしれません。

いずれにしても、シェアすることによって、シェア相手に次の展開を促すことができたわけです。


タイトルを見て「何のこっちゃ?」と思われる方も多いと思いますが、知らなかったのでシェア。詳しくは以下のツイートの通りです。


僕の仮説は、【閉ざされた「私」】が“脚本”を握っており、“物語”の進行に欠かせないものが記憶に残りやすくなり、逆に進行の妨げとなるものは記憶から失われやすくなる、という取捨選択を本人の気づかないところで行っているのではないか、というものです。