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息を吸って、それを吐く。
私たちが意識することなく毎日繰り返している行為です。それは日常的にさまざまな情報にさらされ、何かしらのアウトプットが求められている点で、現代社会の情報発信活動と似ているかもしれません。
ソーシャルメディアの普及に伴って、情報のインプット・アウトプットが持つ意味が質的に変化しはじめている。これが近年の特徴です。もともと発信力を持っている有名人ではなく、「ごく普通の人々」こそがその変化の影響を強く受けているでしょう。
情報源は多様化し、生み出される情報の速度は観測できないほどになっています。マスメディアはインプットの選択肢の一つへと相対化されました。それと共に個人発信のアウトプットも、他の誰かのインプットの選択肢になり得ます。
こういう社会では、インプットのやり方、アウトプットとの付き合い方を改めて個々人が考える必要があるでしょう。
本書は、そのような情報のインプット、そしてアウトプットをいかに行えばよいかを紹介した一冊です。
と、書くと「ノウハウ本」のような構成をイメージされるかもしれませんが、構成はややエッセイ寄りです。読みやすい文章と、具体的な事例や著者の体験が織り交ぜて語られているので、肩肘張ることなく読み進められます。そういう意味では、メディア・アクティビストである著者からのアドバイス__助言の手紙__的な雰囲気が漂っている本です。
読みながら、考えたこと・共感したことがいくつも出てきました。今回はそれを3点だけ紹介してみます。
「情報」とはなんぞや?
そもそも「情報」って何?という疑問は、根本的な問いでありながら、置き去りにされるタイプの疑問です。
本書では、それを機能的側面から明確に定義しています。
「人々が動き出すきっかけを与えるもの」
「人をドライブさせるためのガソリン」
面白いのが、この定義が梅棹忠夫氏のそれに重なるところです。以下はツイッターのbotアカウントより。
わたしたち人間は、ある情報をえることによって、つぎにとるべき行動をきめる。情報が行動に影響をあたえるのである。これが情報というもののもつプラグマティックな意味である。
— 梅棹忠夫さん (@umesao_tadao) 1月 12, 2012
ある情報は、「何もしない」という行動を促すかもしれません。あるいは「全力で逃げろ」かもしれません。はたまた「ガンガン行こうぜ」かもしれません。
なんであれ、ふだん目にして、耳に聞く情報が私たちの行動に影響を与えます。「朱に交われば赤くなる」という言葉がありますが、まさにそれです。
逆に言えば、日常的にどのような情報に触れているのかはかなり大きな意味を持っていると言えるでしょう。リアルタイムの情報を優先し、自分にカスタマイズしたソースを持ちながらも、タコツボを避けたり、古典にも目を配るというバランス感覚がないと、思考・判断・行動のバランスも崩れてきます。
それと共に、自分が発信している情報は、読む人にどのような「行動」を与えているのかも合わせて考えてみたいところです。
「つながり」を意識する
本書の中でさまざまな形で語られているのが「つながり」の重要さです。
それは、人と行動のつながりであったり、人と人のつながりであったり、情報と人のつながりであったり、オンラインとオフラインのつながりであったりと、いくつかの要素に分類することができますが、「つながり」が大きな意味を持っているという点は同じです。
「つながりをいかに作っていけるか」。これを意識していくことが価値を生み出すことになるのでしょう。
たとえば、ブログで情報発信していくことは、自分の持っている情報を他の人につなげる効果があります。それと共に、その人と自分をつなげる効果もあり、そこから新しい行動が生み出されることもあります。
ネットでいくらでも情報が手に入るようになっている中で、オフラインでしか手に入らない情報の価値が相対的に上がっている、と本書でも指摘されていますが、そのオフラインの情報を得るためにもネットやSNSを使うことには意味があります。
さらに言えば、情報と情報のつながりを意識する(「流れ」を生み出す)ことであったり、ある種の発想から別の発想へとつなげていく連想ゲームですらも、「つながり」を意識していると言えます。
もういいよというぐらいに付け加えれば、著者のインターネット・パソコンと音楽という両方のジャンルにまたがって何かを語れる人、というポジショニングも、自分の経歴を「つなげた」と捉えることができます。
本書に通奏低音的に響くのがこの「つながり」というイメージです。これは、私自身で一冊の本を書いてみたいぐらい今後大きなテーマになってくると思います。
好きなことで参画する
「自分が読みたい本が見当たらなければ、あなたが書く番が回ってきたということかもしれない」
というのは私の言葉ですが、これが実現できる状況が生まれつつあるのが現代です。現在人気のブログでも、「知りたい情報が無かったから、自分でまとめはじめたのがキッカケ」というのがスタートになっているものも一つや二つではないでしょう。
本書でも、自分が読みたい音楽情報を提供しているメディアがなかったので、自前のネットメディアの立ち上げたというエピソードが紹介されています。
自分が読みたい、というのは一種のニーズです。そのニーズが満たされてないのならば、それは一つのチャンスでしょう。
もちろん、それだけでうまくいく(人気のメディアになる)わけではありませんが、少なくとも自分が興味を持っているテーマを扱っているわけですから、継続するのが苦痛すぎる、ということは避けられるでしょう。継続こそがメディア立ち上げの最重要課題です。
※もちろん、まったく苦痛が無いというわけにはいかないでしょうが。
さらに、そのテーマに興味があればあるほど、独自の視点が出せるようになります。その独自の視点が、メディアの存在感を作ります。
結局のところ、自分が興味を持てないことで情報発信しても、(おそらく)続けられないし、(たぶん)ありふれたものになりがち、という結論に落ち着きます。
どうせやるんなら、自分が好きなテーマ、興味を持てるテーマを選びたいところです。
さいごに
ざっくりまとめてしまうと、この本の印象が伝えきれないので、本書を読んで私が「考えた」ことを書いてみました。
考える、そしてそれを書く、というのも「行動」です。一冊の本という情報と得て、促された「行動」です。ここで生み出された「情報」がまた他の人の行動になり、その行動がまた「情報」に・・・と世界はつながっています。
本書の第四章に書かれている、
「自分自身も他人の資本である」
という言葉が非常に印象的でした。これを意識していると、ソーシャルメディアの活動もずいぶん変わってくるのではないかと思います。
▼合わせて読みたい:
「情報の目利き」というフレーズが出てきますが、やはりキュレーションは押さえておきたいところ。以下の本が参考になります。
現代社会と「情報」について、改めて考えるならばこの一冊。
本書内で「直感」について少し触れられていますが、「直感」と「ひらめき」の違いについて面白い話が以下の本にのっています。
▼関連エントリー:
» 「脳をハックする」ための最高の入門書——『単純な脳、複雑な「私」』
Follow @rashita2
「正月」というのは仕事的にまったく関係ないんですが、年末から年始にかけて、どうも仕事スイッチが入りにくい状況でした。周りの人の生活サイクルに結構影響を受けるもんですね・・・。ともあれ、そろそろ平常モードに復帰しないと。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。