現代は、情報過多の時代です。生涯かかっても消化しれきないほどの大量の情報が、日々生産され、私たちのもとに流れ込んできます。
しかし、本当の問題は、情報の多さにあるわけではありません。そうではなく、私たちが考えたり、注意を向けたりする対象が多すぎる点こそが真なる問題です。
思い返してみれば、はるか古代から情報はたくさんありました。アレキサンドリア図書館の時代ですら、人の一生では消化しきれないほどの書物がそこに並んでいたでしょう。しかし、そうしたことが問題になったとはとても思えません。誰も、そうした情報に注意を払っていなかったからです。
しかし、現代は違います。溢れんばかりの情報が私たちのものとに押し寄せ、「注意を向けてくれ! 注意を向けてくれ!」と叫んでいるのです。
人間の注意力が有限である以上、そのような有象無象に注意を振り向けていたら、あっという間に人が持つ注意力は枯渇してしまいます。
そんな状況に抗するのが、『Think clearly』です。
思考の道具箱
本書には、52の「道具」が収められています。何について、どのように考えるのかという「思考の道具」たちです。思考法と言い換えられるかもしれません。
とは言えそれらは、フレームワークやメソッドのような明確な枠組みを持ち、具体的な対象に向けて実践されるような思考法ではありません。強いて言えば、考え方・価値観・心構えに近いものと言えるでしょう。
たとえば以下のようなものがあります。
・考えるより、行動しよう──「思考の飽和点」に達する前に始める
・なんでも柔軟に修正しよう──完璧な条件設定が存在しないわけ
・大事な決断をするときは、十分な選択肢を検討しよう──最初に「全体図」を把握する
・支払いを先にしよう──わざと「心の錯覚」を起こす
・戦略的に「頑固」になろう──「宣誓」することの強さを知る
本書では、こうした思考法が52個列挙されているのですが、今回はそのうちの3つを取り上げてみましょう。
考えるより、行動しよう
私は考えることが大好きですし、また考えることにはたしかな実利・効果もあります。しかし、考えているだけで問題が解決することは稀ですし、またある段階で考えていても──材料不足のため──適切な答えが得られないことも少なくありません。そのような状態を著者は「思考の飽和点」と呼んでいます。
彼の思考はすでに、これ以上長く思い悩んでも一ミリも進まないポイントに達してしまっているのである。いくら考えても、もう新たなことに思いいたらない。
この「思考の飽和点」に達したならば、あとは行動するしかありません。そうして行動したら、何かしらの結果が得られ、その結果が新しい「情報」となって、また次に考えるための刺激を与えてくれます。それを、グルグルと繰り返していけば、「思考の飽和点」の袋小路に嵌り込むのは避けられるでしょう。
補足:以上の話は、以前大橋さんが別の観点から記事を書かれていますのでそちらもどうぞ。
戦略的に「頑固」になろう
人は社会の中で生きているものです。言い換えれば、人は人間関係に囲まれながら生活しています。インターネットの普及によって、人によってはその関係性はより大きく広がったかもしれません。
もちろんそれはメリットでもあるのですが、逆にデメリットもあります。多くの人に「合わせよう」とするとすごく疲れてしまうのです。調整したり、判断したり、と多くの人に合わせようとすればするほど、私たちの注意力は失われていきます。
そんなとき、「私はこれについては人には合わせないし、譲らない」というものを持っていたらどうでしょうか。たとえば、自分がフリーランスで仕事をしているときに、「自分は絶対に値下げしません」と決めて、それを宣言していれば、値段交渉にまつわるゴタゴタは激減するでしょう。
もちろん、そのことによって失われてしまう仕事もあるかもしれませんが、注意力が有限であることを考えれば、一つひとつの仕事においてたくさんの調整をして疲れ果ててしまうよりは、良い結果になるかもしれません。
柔軟性というのはたしかに大切な要素ですし、ときには美徳にもなりうるでしょう。しかし、あらゆるものに柔軟に対応していたら、それだけで脳はいっぱいいっぱいになってしまいます。
だから「自分は家族が大事だから絶対に休日出勤はしません」とか、「15人以上参加するような飲み会は断ります」などと宣言しておけば、それだけである種の煩わしさからは解放されます。
でもって、それを続けていれば、「あの人はまあ、ああいう人だから」と評価がついて、それほど悪いことにもならないでしょう。
もちろん、「程度」の問題がある点には注意してください。頑固であることは、美徳でないのですから(つまり他者に迷惑をかけることがあるのですから)、あくまで「戦略的」に行うのが吉です。
ものごとを全体的にとらえよう
きわめて重要な思考法です。特にネット・SNS時代になって、高速に細切れの情報がばんばん目に入ってくる環境になってからは、さらに重要性が増していると言えるでしょう。
私たちは、何かに注意を向けると、それにズームしてしまいます。アウトライナーをお使いの方ならば、特定の項目にズームするあの感じを思い出してくださればよいでしょうし、そうでないならば、カメラで倍率を上げてぐっと被写体に近寄る感覚でも構いません。
こういう状況になると、言葉通り「他のものが目に入らなく」なります。注意を向けたものだけが心を占め、その占有率が拡大していくのです。つまり、それがあたかもたいへん重要なものだと感じられるようになるのです。
ノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンは、次のように説明している。フォーカス・イリュージョンとは「特定のことについて集中して考えているあいだはそれが人生の重要な要素のように思えても、実際にはあなたが思うほど重要なことでもなんでもない」という錯覚を表す言葉だと。
細切れの情報がたくさん目に入るときは、特に物事を断片的に考えがちです。しかも、それらの情報が感情を煽るように表されているとき、このフォーカス・イリュージョンが起こりやすいのではないでしょうか。
だからこそ、瞬間的な感情に飲まれるのではなく、一呼吸置き、一歩(かそれ以上)距離を取って、ものについて考えてみる習慣が必要でしょう。でないと、私たちはフォーカス・イリュージョンの中で人生を送ることになってしまいます。
さいごに
今回紹介したもの以外にも、たくさんの「思考法」が本書では紹介されています。主に心理学方面・ストア哲学方面・投資方面からの思考法ですが、どれもなかなか味があるものばかりです。
もちろん、これら52個の思考法をマスターしよう、などとは努々思わないでください。それこそが、一種のフォーカス・イリュージョン(「この本をマスターしたら、人生は幸せになるに違いない」)です。緩めにパラパラ読み、自分の状況に合いそうなものをいくつかピックアップできればそれで十分でしょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。