昨年末に読み始めた『流れとかたち』が面白い。
出会いの経緯は以下のTwitterでのやり取り。
木の枝分かれについてのツイートを見かけて、木を見ていて気がついたことという10年近く前に書いた記事のことを思い出したのでコメント、
木の枝分かれには法則性があって、
– 2つに分かれたら、その先もずっと小枝になるまで2つに分かれ続ける
– 3つに分かれたらその先も3つに分かれ続ける、
のを知って、自然界の深遠さに唸らされたのを思い出します。https://t.co/z4lRJmcr8k— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano) December 28, 2022
したら、お返しに教えていただいた。
読み始めましたが、これはまさに「大河の流れ」ですね!
— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano) December 28, 2022
ちょうど母の通院の付き添いで病院で待機中だったので、その場でKindle版をダウンロードして読み始めた。
歩いてみたらそこに道ができた
「序」にある以下の一文。
一九九五年九月下旬、フランスのナンシーを訪れたときには、自然界のデザインの統一法則を発見することなど、私の「すべきことのリスト」には入っていなかった。
これは以下のツイートに通じる。
>RT
考えるよりまず動き、ログを残せばそこに道ができる— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano) December 22, 2022
RTの内容は以下。
いいベンチャーは、悩む暇もなく圧倒的に行動する
悪いベンチャーは、行動することなくひたすら悩むなので、定例会議で進捗を確認すれば、そのベンチャーがいい状態か、悪い状態か、誰でも分かる。
— 吉沢康弘@働かされる株主 (@yasuyasu1976) December 22, 2022
「大河の流れ」に運ばれていく
世界は偶然や巡り合わせや運によって形作られているのではなく、目がくらむような多様性の背後には予測可能なパターンの途切れない流れがあるのだ
この一文を読んで、すぐに阪本啓一さん(今回、本書をおすすめしてくださった方)の以下の記事を思い出した。
大河の流れに気づき、身を委ねよう|阪本啓一(JOYWOW)|note
- こまごましたものを一旦横に置いて、自分の大河の流れ(全員、持ってる)に気づき、その流れにゆったりと、笑顔で身を委ねる。
- そして大河の流れに身を投じると、共時(シンクロニシティ)が起こる。会いたい人や手を差し伸べてくれる人、今必要なものの見方、場合によっては資金や時間が、「なぜか」やってくる。
すべては流れの中に位置づけられる
歴史も地理も静的ではないし、無から忽然と現れたりしない。ともに、それ以前に現れたもののいっさいに基づいて、どこかから現れ、時とともに進化し、河川流域の流路のように、そこを通る流れを良くする。
このくだりを読んだとき、大学の同期が結婚式の挨拶で口にした以下の言葉を思い出した。
- 「皆さんの誰か一人でも欠けたら、今の私はここに居ませんでした」(紹介記事)
そして、この記事の後半に阪本啓一さんが登場するのもまた面白い。
まさに「運ばれる」ように読み進めている。