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「もっと儲かる」より「もっと喜ばせる」


※写真は本文とは関係ありません。

大橋悦夫昨日、近所にある花屋に寄りました。店内は宇宙船の中のような奇妙に清潔で近未来的です。一言でいえば「クール」あるいは「オシャレ」な感じ。ベタな感じがいっさいありません。「花屋」というより「フラワーショップ」と呼ぶべきでしょう(実態は同じなんですけど)。

そこに花屋(あえて花屋と呼びます)があるのはずっと前から知っていたのですが特に花を買う習慣も飾る習慣もなかったので足が向くことはなかったのですが、ふと「机の脇にでも小さなカビンがあってもいいかも」と思いついて店に入ったのでした。

中には若い女性店員が2人いました。客は僕以外に女性が1人。ひととおり、論理的整合性の妙を誇るかのようにディスプレイされた植物を見て回って、いくつか「これは買っても良いかも」と思えたものを念頭に店員に話しかけようとしたのですが、2人とも伝票だか何かに向かって一生懸命「作業」をしていました。店に入ったときこそ、「いらっしゃいませ」はありましたが、それ以後は、傍らに客なきが如し。自分たちの「作業」に没頭していたのでした。

何となく話しかけづらく、いたたまれない気持ちになって、そのまま店をあとにしました。「ありがとうございました!」という店員の挨拶を背中に受けて。そういえば、ほかにいた女性客もいつの間にかいなくなっていました。

もはや花屋とさえ呼べない空間。これはいったいなんなんでしょう。

伝票以上に注目すべきもの

「ビジネスの目的は顧客の創造である」とはピーター・ドラッカー氏の言葉ですが、最近よく思うことは、顧客にもっともっと注目しないといけないなぁー、という至極当然のセオリーです。

「顧客の視点」とか「顧客の目線」などという言葉が氾濫している今日この頃ですが、ビジネスをしている以上は無意識に「もっと儲かるようにしないと!」という思いが先に立って、なかなか「顧客の目線」に辿り着けていないということが少なくないように感じられます。

だからこそそういうテーマの本が出続け売れ続け読まれ続け、そして活かされることなく忘れられ続けるのでしょう。

仕事は“やらねばならぬもの”ととらえてしまうと途端に重苦しいものになってしまいます。それこそ、冒頭の花屋で伝票に没頭していた女性店員のように、余裕がなくなってしまいます。利益を生むのは伝票ではなく目の前でウロウロしている──何を買ったらいいかわからず、買ったところでどのように世話をして良いのかもよくわかっていない──客なのに。

「顧客の創造」の手段としてのコミュニケーション

一方、少し前に何となく惹かれて入ったセレクトショップ(イタリアブランド専門)では、逆の体験をしました。セレクトショップだけにユニークな商品が多く、どれが自分に似合うのかもちょっと教えて欲しいなぁ、などと思っていたところ店長が気さくに話しかけてくれて、あれやこれやとブランドの説明や今後のトレンド、着こなしなどについて(頼んでもいないのに)えんえんと話して聞かせてくれました。ちょっとしつこいくらい。なかなか帰してもらえませんでした(笑)。

その時の店長の表情がとても嬉しそうで、少年のように目を輝かせ、その目線の先にはイタリアの街があるようでした(2ヶ月に1度イタリアに買いつけに行くそうです)。いやー、この人、いまの仕事は楽しいんだろうなーと推察。乗せられるままに何点か購入。いろいろアドバイスももらえたのでとても満足な買い物でした。

伝票も大切だと思いますが、きっとそれはあまり楽しくない「作業」ですよね。そういうバーチャルな紙切れよりも目の前にリアルにいる客に目を向けないのはどうしてなんだろう、と思いました。人にもよると思いますが、「作業」よりも「コミュニケーション」のほうが断然楽しいはずですし、そもそも「コミュニケーション」のほかに「顧客の創造」する手段を僕は見いだせません。

「作業」によって「もっと儲かる」ための仕組みや工夫が生まれていくかも知れませんが、それよりも「コミュニケーション」を通して客を「もっと喜ばせる」ように持っていくほうが、結果としてもっともっと儲かる、と思うんですけどねー。しかも、そのほうが楽しいときています。

冒頭に掲げた“花が置いてある建物”にはもう二度と近づかないと思いますが、自分でも「作業」に夢中になっていないか、振り返るキッカケになりました。