今回は052と053を。文章を書くのが苦手な人向けの二冊です。
- 『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(2012)
- 『ライティングの哲学』(2021)
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』
本書は「話せるのに書けない!」の解消が目指されています。具体的には以下の二つの状況のクリアです。
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- 文章を書こうとすると、固まってしまう
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- 自分の気持ちをうまく文章にすることができない
よくある状況ではないでしょうか。心の中に「言いたい」ことや「伝えたい」はある。でも、それを書こうとすると、うまくいかない。
なぜ、そんな状況になってしまうのでしょうか。著者は以下のように答えます。
「書こうとするから、書けない」
一見すると禅問答のような答えですが、実はかなり明瞭です。「書く」という行為の認識がズレているので、機能不全が起きているのだという話なのです。
では、「書く」とはどういう行為なのか。本書では次の二つが提示されます。
- 書くことは翻訳すること。
- 書くことは考えること。
この二つが何を意味しているのかは本書を参照してください。とりあえず、「書く」という行為を「自分の気持ちをそのまま言葉に移し替える」ものだと考えている方には、本書は非常に良い視点の切り替えを提供してくれます。
『ライティングの哲学』
副題は「書けない悩みのための執筆論」です。上の本と同じく、うまく書けない人が対象の内容ではありますが、それに留まらない射程の広さを持った一冊です。
本書の内容は多岐に渡るので、ここでは一つのキーフレーズだけを拾っておきましょう。
「書かないで書く」
一見すると禅問答のようなフレーズですが、「規範的な仕方で書かない」がその意味です。つまり、自分の中にある「書く」という(おそらくは高尚な)形に制約されない形で「書く」ことをはじめればいい、というメッセージです。
ようするに書けない人は、必要以上に「書く」ことについて身構えてしまっている。それが体を硬くしてしまっている。だから、その構えを解いて(もっと言えば構えが生まれる手前で)書いてしまえばいい、というのは単純でいて奥深いメッセージです。
なんにせよ、私たちは「思った通り」には書けません。そこにはさまざまな障害が待ち受けています。それを回避するために、さまざまなテクニックが開発されることもあります。たしかにそれは有用ではあるでしょう。しかし、もっと大切なのは、「書く」ことについて考えることではないでしょうか。
書くという行為は何で、自分はなぜ書けないのか。
それについて思いを巡らせ、ときには実験することが必要でしょう。
本書を読んでもわかりますが、人はそれぞれに「書けなさ」を持っています。トルストイが言うように、不幸の形は違っているのです。だからこそ、その答えもまたそれぞれに見つけていくしかありません。
大ざっぱに考えれば、文章術で必要な要素はだいたい同じでしょう。7割から8割くらいは共通したことが言えると思います。一方で、残りの部分は人それぞれ違っています。そして、その違っている部分こそが大切なのです。
だからたくさんの文章術を抽出したものを一つ読めば、それで万事OKとはいきません。むしろ、たくさんの文章術に触れ、それぞれに潜む差異に注意を向けることこそが大切なのです。
そうして注意を向けていけば、自分の問題を発見するためのまなざしも鍛えられるでしょう。答えではなく、問いを求めるためにこそ、こうしたノウハウ本は役立つのです。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。