今回は011を。直接的なノウハウ本ではありませんが、デジタルツールを使った「ライティング」を検討する上では外せない一冊になっています。
- 『思考のエンジン』(1991)
書くことと道具
本書は雑誌『現代思想』の連載をまとめたものです。簡単に言えば「ライティングツール論」の一冊だといえるでしょう。
たとえば、ワープロ(ワードプロセッサ)が登場したことによって、まったく新しい執筆のスタイルが可能になったことは010でも確認しました。つまり、私たちには「選択肢」が増えたことになります。
- これまで通り手書き-原稿用紙で書く
- すべてをワープロで書く
- 手書きとワープロを組み合わせて書く
どういう選択をするにせよ、そこには意味が宿ります。どういう道具を使って書くのかで、どんなものが書かれるのかに影響が出てくるのです。
本書では、「僕たちの筆記具は僕たちの思想に影響を与える」というニーチェの言葉が紹介されていますが、実体験から言ってもその言葉は大げさなものではありません。たとえば、スマートフォンで音声入力をしてみると、テキストエディタで紡がれるのとは違った文章が出てくることがわかります。同じことは他の「筆記具」についても言えるでしょう。
つまり、デジタルツールが登場したことによって、単に「便利」になっただけでなく、多様な形で「ライティング」を構成できるようになったわけです。それは一つには面白さの向上でありつつも、この問題に複雑さももたらしています。
書くことについて
もう一つ、本書で面白いのは「書く」という行為への考察です。
「書く」という行為が、すでに知っていること、あるいは考えた結果を表す行為だとは限らない、という視点が提示されているのです。むしろ、書くことを通して、私たちは考える(あるいはその考えが現れる)ということがある、という指摘は硬直的なライティング観(はじめに設計図を作り、その通りに書く)に変化を迫るものでしょう。「書く」という行為は、もっとリキッドな活動なのです。
その視点と、一つ目の視点──僕たちの筆記具は僕たちの思想に影響を与える──が結びつくことで、話はもう一段大きくなります。デジタルツールの登場は、執筆作業の効率化をもたらしただけでなく、むしろその行為の質を変化させうるものとして捉えられるのです。
この辺りの議論は、本書でもなかなか難しい部分に入りますが、一考してみる価値は十分にあるでしょう。そうした思索を通して、「書く」ときに使うツールの再発見が行われるように思います。
CAWの可能性
もう一つ、興味深く、そして少し残念なのがデジタルツールを使った「ライティング」の未来像です。
たとえば本書では「ソウトライン」というツールが紹介されています。何か文章をまとめたいときに、コンピュータと「対話」する中で、書くことの材料や方向性を検討していく、という使い方がなされるツールです。こうしたツールは、どうしても一人で作業をしていると行き詰まりやすい「執筆」というプロセスにおいては、仮想的な他者として有効に機能してくれるでしょう。コンピュータがアシストする執筆活動、というのが考えられるわけです。
一方で、本書が出版された1991年から現在に至るまで、その方向でライティングツールが「進歩」してきたようには思われません。さまざまな作業を効率的にこなせるようになったとは言え、質的な転換はさほど起きていない印象です。
その他のツールについても、当時描かれていたような「未来像」にはほとんど達していないと言えるでしょう。HyperCardもすたれてしまいましたし、ハイパーテキストをベースとした「執筆論」もほとんど論じられていません。ある時期に、豊かに膨らんでいたライティングツールのビジョンは、どこかの時点で不可視の落とし穴に落ちてしまったような印象を受けます。
逆に言えば、本書は私たちの想像力を再起動させる動力を有しているとも言えます。過去の時点から、未来像をRe:visionしてみること。そういう読み方もできるはずです。
さいごに
本書は純然たるノウハウ書とは言えませんが、それでも「書く」というプロセスがいったいどのようなものなのかを考察する上で、有用な土台を提供してくれます。知的生産活動において「書く」ことが欠かせない以上に、私たちの思考・思索において「書く」ことは必要不可欠です。
単に原稿用紙を升目を埋めるだけでなく、より複雑で想像力溢れる思考を可能にするための道具。そうした道具を求める気持ちをすたれさせてはいけないでしょう。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。