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知的生産の技術書051『文章表現四〇〇字からのレッスン』


倉下忠憲今回は051を。短文指向になりつつある現代にぴったりな文章トレーニングです。

  • 『文章表現四〇〇字からのレッスン』(2000年)

『文章表現四〇〇字からのレッスン』

皆さんは、「400文字」という文字数について、どんな感想を抱くでしょうか。普段から数万字の文章を書いている人ならかなり短く感じられるでしょうし、Twitter民ならば「3ツイート分」くらいにかんじられるでしょう。極端に長いわけではないが、しかし短すぎるほどもない。そんな分量です。

実際、400字を3ツイート分くらいだと考えれば、その文字数を使い切るのは簡単に思えるかもしれません。一方で、400字詰の原稿用紙を前にすると、それを埋めるのは困難に思えるかもしれません。なかなか不思議なものです。メディア(媒体)によって、その重さの感じ方が変わってくるのです。

それはともかくとして、400字はちょうど良い長さです。何か一つのことを言おうとしたら、だいた400文字くらいあれば成立する、という単位的な長さなのです。実際、梅棹が使っていた情報カード(京大式)も、普通に文字を埋めていけば、300文字〜400文字くらいは余裕で書けます。一つの着想は、それくらいの文字数があれば、過不足なく表現できるのです。

本書では、その長さを一つの単位として、文章のトレーニングを行うことを提案しています。よい文章を書くためのトレーニングです。

よい文章とは?

では、「よい文章」とは何でしょうか。本書では以下の二要素を満たす文章を「よい文章」だと定義しています。

1. 自分にしか書けないことを
2. だれにもわかるように書く

上の二つの定義から、逆に「よくない文章」の姿も浮かび上がってきます。

A だれでも書くようなことを、だれにもわかるように書いた文章
B 自分にしか書けないことを、自分だけにわかるように書いた文章
C だれでも書くようなことを、自分だけにわかるように書いた文章

「A」は、そもそも自分が書く意義がありません。「B」はいわゆる「自分らしい文章」が陥りやすい状態で、たしかに扱っている素材はよいのだけれどもそれが他の人には伝わらなくなっている文章です。「C」に至っては壊滅的で、なぜそんな文章を書いたのかさっぱりわかりません。

こういう状態から脱するのが、本書が提示するトレーニングの一つの目標です。

短さの効能

では、なぜ400字という短い単位を使うのでしょうか。「論文」のように大きな構造を単位としてはいけないのでしょうか。著者は、短さの魅力を読み手の立場から三つ挙げます。

  • 時間をとられずに済む。
  • 疲れない。
  • まとまった情報が得られる。

さらに、以下の二点も付言されます。

  • 読み終わって考えることができる。
  • くり返して読むことができる。

非常に重要な点です。短い文章であれば、読むのも短い時間で済み、認知的な負荷も極大化することなく、しかしひとまとまりの情報を得られ、しかも、その情報について再考することが可能になるのです。

これがまさしく、梅棹が「豆論文」という概念で提示したことです。彼は情報カードを「何度もくること」の重要性を説きました。それが可能なのは、豆論文が短いからです。短いから、何度も読み返し、それについて考えることができるのです。

また、梅棹が知的生産の定義として述べた以下の文章は、

知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ。

本書の「よい文章」の定義とも見事に呼応します。

「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら」→ 「自分にしか書けないこと」

「ひとにわかるかたちで提出すること」→「だれにもわかるように書く」

つまり、本書が提示する文章のレッスンは、知的生産のミニマムなレッスンだと捉えられます。

事前にストーリーを作らない

もう一点、確認しておきたいことがあります。メモの扱い方です。少し長くなりますが、引用しておきましょう。

〈メモ〉として十分に材料(ことば)を集めても、自分が書きたいことが見えない場合があります。いわゆる舞台の小道具ばかりがそろってくると、「物語」(ルビ:ストーリー)がほしくなります。そこで急がないことです。「主題文」みたいな形でその物語をまとめてメモとしてしまうのではなく、一種の”割り切れなさ”、”中途半端な感じ”を忠実に生かす形のことばの断片を書きとめる程度で、ひとまうメモをやめておくことも重要です。メモの段階で、自分が書きたいことが明瞭に見えていないということは、けっして悪いことではなく、むしろ創造的な作品が生み出される直前の状態として一般的なことなのです。

この〈メモ〉の扱い方は、やはり梅棹のカード法と呼応しています。彼は「カードは分類しない」ことを口を酸っぱくして説きました。それは、〈メモ〉群を安易な物語でまとめない、ということと構造的に同じでしょう。要素を部分として位置づけずに、まず独立的に記述していくこと。そして、集まった材料から物語=語り口を構築(創造)していくこと。それが肝心だと言うわけです。

本書には400字での文章表現の実際例がいくつも登場しますが、知的生産の技術として注目したいのがこうした〈メモ〉=断片の扱い方です。

まず小さく書き留める。しかし、しっかり書き留める。

そういうことの積み重ねの後に、ストーリーを作っていく、というやり方は、時代を超えて普遍的な効果を持っているのでしょう。

知的生産の技術書100選 連載一覧

▼編集後記:
倉下忠憲


7月も終わり、8月がやってこようとしています。でもって、とうとう100選も折り返しにはいりました。自分で書いていてなんですが、それにしても結構な冊数がありますね。これらの内容を一冊にまとめる……なんてことが可能なのかちょっと心配になってきました。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中