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ありきたりの人を怖がるからこそ繊細さん


佐々木正悟 先日、以下の本を上梓しました。

『つい顔色をうかがってしまう私を手放す方法』

売れているとは言いがたいものの、Amazonの評価自体はいいほうです。

★をつけたいただいた方に、改めてありがとうございます!

中に手厳しい意見もありますが、あって当然のものです。本を出せば必ずあります。まして今回の内容であればなおさらでしょう。

自分が出した本と、それへのレビューについて、著者からあれこれ書くのはやはり気が進みませんが、それでも補足の意味もあり少しだけ書いておきます。

問題にしたいのは「人が怖いこと」でした

私が自分自身に対しても、読者に向けても、課題としたかったのは「ふつうの他人を恐れること」でした。決して、

  • 人間離れした恐怖の怪人

への対処法を説いた本ではなかったわけです。

ここが大事なポイントです。

私の考えでは「繊細さん」というのは、ありきたりな人や、ありきたりなトラブルを過剰に恐れてしまう性向のことをいうのです。決してDVに明け暮れる配偶者やパワハラモラハラセクハラのトリプルモンスターに困惑を覚える人のことをいうのではないのです。

真っ昼間から木刀を持って覆面をした集団に囲まれたら恐ろしいというのは、まったく正常な感覚です。「病気」ではないし「病的に臆病」でもありません。私は本の中で身心のいずれについても「鍛え方」はいっさい書いていません。「逃げ方」も書いていません。

そうではなく、私のような人間の問題は

  • 相手はふつうの人であるにもかかわらず、反応が度を超してしまう

ところにあるのです。

私が「自分の娘に対してまで過剰反応を起こしてしまったことがある」とわざわざ本の中で触れたのは、この点をはっきりさせておきたかったからです。

本書についていちばん反論されるのは

  • 世の中には真にひどい人もいる、中にはサイコパスもいるのに、そんな人を「甘えさせて」も、どうにもならないのでは?

というものでした。

それはそのとおりかもしれません。しかし私にとっての問題、そして「繊細さん」にとっての問題というのは、そういうことではないはずです。

相手が定義どおりの「サイコパス」なら、困らされるのはみんな同じです。

相手がふつうの人でもつい怖がってしまったり、あるいは優しい人の顔色さえもうかがったりするからこそ「繊細」なのです。

ふつうの人に対してはふつうにしていられ、ただブラック企業の独裁者のような役員の顔色だけをうかがうなら、それは「繊細さん」ではなく「ふつうの人」です。

ふつうの人のちょっとした言動にすら、つい過度に「裏読み」したあげく「勝手に傷つく」というのは、生きていてけっこう困るのです。そんなときはどうしても

  • 気が弱く優しい自分が悪いのか、それとも相手の言動がいささか無神経なのが悪いのか?

と「犯人捜し」を始めてしまいがちです。そして100%相手が悪いことなどめったにないため、悶々とした犯人捜しは数日経っても解決せず、仮に「相手に100%非がある!」と結論を出せても意外となにも言えなかったりするので、気持ちがスッキリしません。

私が「甘え」を持ち出したいのはまさにこうしたときであり、「趣味は弱いものいじめです!」と公言してはばからない人の言動についてではありません。

だから本書の「甘え」はまず「自分の周囲にふつうにいる、ありきたりの相手」から適用して欲しいわけです。

そうは言っても、もし「私の周囲は全員がなんとかハラなのです!」というのが本当であれば、どうしてそんな相手を配偶者や恋人に選び、なんとかハラの人だけによって構成されている会社に勤めたりしているのか、真剣に検討する価値があると思います。

『つい顔色をうかがってしまう私を手放す方法』



▼編集後記:
佐々木正悟


最近「人間関係がわずらわしい」という話をよく耳にします。
 
もしそうだとすると、人以外の何となら、気持ちよく安心して関係を築けるのでしょうか?
 
ペットでしょうか? VRのアバターでしょうか? 二次元のキャラクターでしょうか? それとも、お金やモノでしょうか?
 
「そのほうがまだマシ!」という気持ちはよくわかります。
 
なぜならば、これらの人でないものは、あなたを傷つけたり、あなたに罪悪感を抱かせたりしないからです。