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知的生産の技術書007~008『アイデアのつくり方』『アイデアのヒント』


倉下忠憲今回は007と008を。「アイデア」に関する書籍です。


『アイデアのつくり方』(ジェームズ・W・ヤング)

「アイデア」に関する古典とも呼べる一冊です。原題は「A Technique for Producing Ideas」。アイデアを生み出す「技術」が書かれています。

なかなか大仰なテーマが扱われていますが、本書は非常に「軽い」本です。本文自体も短いものですし、文体も軽妙ですらすら読んでいけます。にも拘わらず、ぎゅっと読者の心を捕まえる「原理」が本書では提示されています。

その要点はただ一つ。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」

これです。

この原則が意味するのは、アイデアとはゼロから何かを創造するのではなく、既存の要素の組み合わせを変えることで生成されるものだ、ということです。アイデアを生み出すのに「天才」になる必要はありません。ある「技術」があればよいのです。その意味で、訓練で鍛えられる能力だと捉えることもできるでしょう。

とは言え、このシンプルな原則は、アイデアがそう簡単に生み出せないことも意味します。

第一に、「既存の要素」の持ち合わせが少なければ生み出せる組み合わせも少なくなり、アイデアが生まれる可能性も当然低くなってしまう、という点。つまり、情報摂取(=インプット)が基盤となるわけです。

第二に、仮に大量に情報摂取していても、「新しい組み合わせ」を探そうとしない人にはアイデアは生み出せない、という点。100人が100人考える「組み合わせ」しか見つけられないならば、それはアイデアとは呼べない(あるいは呼べたとしても付加的な価値を持たない)でしょう。

この点について、著者は社会学者パレートの分類を紹介しています。

パレートは、この世界の全人間は二つの主要なタイプに大別できると考えた。彼はこの本をフランス語で書いたのでこの二つのタイプをスペキュラトゥール及びランチエと名づけた。

スペキュラトゥールとは「投機的」という意味であり、その特徴は「新しい組み合わせの可能性に常に夢中になっている」といいます。彼ら彼女らは日ごろから「新しい組み合わせ」を探し求めているので、そうでない人よりも「アイデア」を見つけられる可能性が高いのです。

対するランチエは「株主」のような意味で、その特徴は「型にはまった、着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な人間」とされています。さんざんな言われようですが、もちろんそうしたタイプの人がいるから社会が健全に運営されていることは想像に難くありません。しかし、そうした人たちは「新しい組み合わせ」といううまくいくかどうかわからないものよりも、すでにうまくいっていることがわかっている「古い組み合わせ」にこだわるので、アイデアを見つけられる可能性が低い、というわけです。

この二種類のタイプが「本性」的なものなのか──つまり、後からはどうやっても変更不可能なものなのか──、それともある種の「思考習慣」であって、時間をかければ変更できるものなのかどうかはわかりませんが、もし後者であるならば、だれしもが「アイデアパーソン」になれる可能性を秘めているとは言えます(そうなるのが好ましいことなのかどうかは不明ですが)。

ともかくとして、情報摂取を続け、それらの新しい組み合わせを日夜探し求めること。それがアイデアをたくさん生み出すために必要な「素養」だとは言えるでしょう。

『アイデアのヒント』(ジャック・フォスター)

『アイデアのヒント』は、タイトル通りアイデアを生み出すための「ヒント集」です。原題は「How To Get Ideas」。ヤングの『アイデアのつくり方』の原則を参照しながら、いかにすればより効果的に「アイデア」を生み出せるのかのコツが紹介されています。

ある種、発想法的自己啓発の趣がある内容であり、さまざまなヒントが並んでいるのですが、中でも注目したいのが「見ること」についての示唆です。

それはあなたが本当には「見て」いなかったからだ。あなたはただ「ながめていた」だけ。意識して見ていたのではなく、単にながめていただけなのだ。ながめるのには何の努力もいらない。生きをするのと同じくらい簡単なことだ。だが「見る」ことは違う。「見る」には努力がいる。自分からの働きかけがいる。

先ほど書いた情報摂取において、その質を分けるのがこの態度です。「見る」のか「眺める」のか。それによって、自分の中に取りこめる度合いがかなり変わってきます。もし、「見て」うまく自分の中に取りこめたならば、それは「新しい組み合わせ」を考える素材となってくれるでしょう。しかし、ただ「眺めた」だけのものならばどうでしょうか。それを操作して、新しい組み合わせを生み出すのはなかなか難しいでしょう。

この二種の違いは、ようは「注意」の違いとも言えます。対象により濃い注意を注ぐかどうか。それによって情報摂取の質が変わってくるのです。そして、その注意を喚起する行為が「ノート(note)」を取る行為です。ノートを取るためには、どうしても対象に注意を向ける必要があります。だからこそ、ノートはアイデアの出発点にもなるのです(拙著『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』参照)。

アイデアパーソンへの道のり

以上二冊の本を通して見えてくるのは、アイデアを生み出すために必要な行為の「迂遠さ」です。

アイデアが必要になったそのタイミングで「発想法」を駆使しても、その成果はそれまでの自分の情報摂取に影響を受けます。即効性のある解法はないわけです。

その上、です。

アイデアは「新しい組み合わせ」によって生まれるのですが、「一見すると関係ない情報」の蓄積がものを言います。誰しもがすぐに「関係ある」と思う事柄はすでに試された組み合わせである可能性が高い以上、そうではない領域の情報が必要になるのです。つまり、ややもすれば「役立たない」情報摂取が必要になるのです。無論それは、「その時点では役立たなそうに見える」という意味でしかありません。

総じていえば、いますぐにアイデアパーソンになれるノウハウはないわけです。

才能がなくてもアイデアは生み出せるがゆえに、日ごろの蓄積がものを言う。これは知的生産活動全般に言えることかもしれません。

知的生産の技術書100選 連載一覧

▼編集後記:
倉下忠憲




徐々に復調していますが、「まだだ、まだ焦るような時間じゃない」の気持ちでゆったりと過ごしています。でも、確定申告は待ってくれないので頑張るしかありませんね。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中