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人が「慣れている」とみなしていることの多くは一方向からしか見ていないのかも



大橋悦夫いつものランニングコースは、反時計回りに周回することになっているため(※)、目に入ってくる風景は一方向のみ。

もう何百周したか分からない馴染み深いコースだが、見慣れていると思っているのは一方向だけ。

通勤コースであれば、往復するので双方向の風景が記憶に残る。

ランニングは、左回りのみの一方向の風景しか記憶に残らない。

このことに気づいたのは、たまたま徒歩移動の折にランニングコースをいつもと逆方向に歩くことになった日のこと。

※人体の構造上、左回りのほうが理にかなっていると言われている。詳しくは「左回りの法則」で調べてみてください。

いつものランニングコースのはずなのに、見慣れない光景が広がっていることに気づき「あれ? ここはどこだっけ?」と自分がどこにいるのかが分からなくなった。

その場で立ち止まって少し不穏な気持ちにすらなった。


後ろをふり返ったら、いつものランニングコースであることが認識でき、再び歩き始めた。


考えてみると、人が「慣れている」とみなしていることの多くは一方向からしか見ていないのではないだろうか?

学生時代、社交ダンスに興じていたとき、教えてくれる先輩や先生たちは男性なら女性パート、女性なら男性パートを当たり前のようにこなせていた。

つまり、自分のパートが踊れるのに加えて、相手のパートも踊れる。

相手の気持ちが分かるだけでなく、相手そのものになりかわることもできてしまう。

自分のパートだけ練習しても、二人ではうまく踊れない。

仕事で言えば、サービス提供側にしかいないと、サービスを受ける側の感覚が分からなくなってしまう。

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