大きめの仕事をずっと抱えていて、しかも「ニッチもサッチもいかない」というほど重苦しい状態にあるなら、
- 「なかなか時間がなくて・・・」
に類いする言葉を発するのを禁止しましょう。
ちょっとしたひと言であってもです。
私たちは深い考えもなく「時間がない」と口にします。
これは誰もが納得してくれるキラーワードだからです。
「時間がない」と思っていない人はこの世にごく希です。
だからすぐ共感してもらえるのです。
私の知人に24時間365日、時間をもてあましている人がいます。
その人の口グセですら「時間がない!」です。
「時間がなくて何もできない!」というのです。
正しいのは「何もできない」ところだけです。
時間がない?
自己責任だとか、やる気がないだけといいたいのではありません。
その人は本当に何もできないでいます。
だからこそ、もっと真剣に考えるべきなのです。
そもそも「時間がない!」という言い分が通りさえすれば「自分の責任」を回避でき「やる気がない」ことが覆い隠せるというところに微妙な問題があるはずです。
ときにいわれる「時間がないことを言い訳にするな」と言いたいのでは決してないのです。
そうではなく、
- もし時間があってもまったく進められないことを、どうすれば進められるものなのか?
と、問わねばならないはずです。
時間は、あります。
死ぬまでなくなりません。
時間がないという「思い込み」は、学校の、とくに中間・期末テストで植え付けられた、非人間的な錯覚です。
「時間を大切に」すれば「人生の質」が向上するというのは、無根拠のイリュージョンにすぎません。
はっきりいって「時間があってもできない」のです。
そのうえに「時間がない!」と思い込んでいたらできるはずがありません。
時間はある
「シゴタノ!の原稿を書く」ことになっているが、進まない、としましょう。
私はじつに安易に「今日は時間がない!」に逃げ込もうとするわけです。
だから「そうか明日なら…」と空想をはじめるわけです。
この思考で原稿が進んだらそれこそ不思議です。
ただ、時間はあるけれど、書き進められないという感覚は重くツラいわけです。
「時間がない」はそのツラさからの逃避と、過去のステレオタイプな教育効果の副産物だということです。
時間はあります。
そこで考えるのです。
なぜ、書き進められないのだろう?
このような物思いにふけることは「時間を要する」のです。
ツラいし、しかも白紙が目の前に迫っているため、私たちは「ライフハック」に逃げたくなります。
仕事がまったく進められない時間のツラさから逃げるために、物思いにふけっていたり悩んでいたりしていてはいけないと思いやすいし、だから「真剣に考える時間」を決して作ろうとしないわけです。
時間があれば進む仕事も、ありはするでしょう。
単純作業ならそうでしょう。
しかし時間があっても進まない仕事について、「時間がない!」は意味がありません。
自分はなにがしたいのか。
人は自分になにをして欲しいのか。
時間をかけてでも突き止めるところから始めるしかないでしょう。
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