前回の最後に以下のように書きました。
『知的生産の技術』を通して読んでみると、梅棹は「情報の規格を揃えておくと処理がやりやすくなる」ことをかなり感覚的に体得されていたように見受けられます。もし現代に生きておられたなら、DXの強力な推進者になっていたかもしれません。
事務的な作業は極力楽にして、それ以外の作業に時間を注ぐこと。ある意味でライフハッカーやプログラマーのマインドセットです。
当然そのマインドセットは、デジタルノートを使う上でも強力なのですが、ここにもちょっとした罠が潜んでいます。それについてはまた次回検討しましょう。
この”罠”は、二つの性質を持ちます。
- 「規格が揃っていると、区別ができなくなる」
- 「手間を省くことを追求するばかりに、手間を掛けることができなくなる」
今回はまず前者を検討しましょう。
すべてが単一になる
知的生産におけるデジタルツールといって、ぱっと思い浮かぶのがEvernoteやWorkFlowyでしょうか。どちらもすぐれたノート性を持つツールです。その上、規格の統一を強力に推進します。
たとえば、Evernoteはどのような情報であっても、それを「ノート」という単位で保存してくれます。一行だけのテキスト、10万字のテキスト、画像ファイル、Webクリップ、その他のファイル、以上の混合……、中身が何であるのかは問われません。幅広く情報を「保存」でき、その「見た目」はどれも同じです。
こうした「統一」は、情報の単位作りと言え、情報整理においてはほとんど基礎的とも言える要素です。アナログで言っても、すべての着想を情報カードに記入することは情報を単一の規格にまとめることだと言えますし、野口悠紀雄や山根一眞のファイルシステムも封筒を用いることで、手持ちの情報を単一の規格に揃えようとします。ある単位で情報を揃えることをしない限り、その「整理」は難しいのです。
その意味で、Evernoteはすぐれた情報整理ツールです。新しいデジタルノートがたくさん出てきても、その点は揺るぎません。どんな情報であっても、単一の単位(ノート)で情報をまとめてくれる、規格化してくれる。その恩恵は計り知れないでしょう。
情報とその処理
一方で、注意したいのは、情報の種類によってその処理の仕方が変わってくる、という点です。
たとえば、梅棹忠夫は『知的生産の技術』の中で、「カード法」と「こざね法」をわけて紹介しました。情報・着想を蓄積していく「カード法」に対して、原稿のアウトラインと立てる「こざね法」を別物として扱ったのです。知的作業の方向性が異なるのですから、これは当然でしょう。
また、そこで使われる「紙」のサイズも違っていました。カードはある程度文章が書けるやや大きめのサイズで、こざねはワンフレーズが書き込めるだけの小さな紙片です。必要とされる情報量が異なるのですから、紙のサイズも違ってくるのは自然なことです。
しかし、それだけではありません。私たち人間は、その情報処理の多くを視覚に依っています。「見た目」で、それが何かを判断するのです。言い換えれば、見た目が違っていればそれは「違うもの」として、見た目が似ていればそれを「同じもの」として認識する傾向があります。この点が、デジタルツールにおいて混乱を生じさせるのです。
Evernoteでは、こざねにあたる情報でもカードにあたる情報でも、どちらも「見た目」は同じです。リストビューでみてもカードビューで見ても、個々の情報に「見た目」の違いはありません。それらのノートを開いたときに、表示される文字数が違っているだけです。「形」としての違いではないわけです。
もう一度言いますが、Evernoteの強力さはその点にあります。中身を気にせずに保存すると「形」が統一される、という点が素晴らしいのです。一方で、「形」の違いがないので、情報的差異に気がつかなくなります。それがこざね的情報なのか、カード的情報なのかが捉え難くなるのです。
もっと言えば、強く意識しない限り、それらが「違う」ものであるという認識がだんだんぼやけてくるでしょう。結果として、そこで行われる情報処理の方向性もだんだんぼやけてきてしまいます。カードに対してこざね的な処理をしようとしてうまくいかなかったり、こざねをカード的に管理しようとして不都合が多くなったりと、混乱が生じはじめるのです。
さいごに
単に情報を保存して終わりというだけならばともかく、何かしらの知的処理を進めていこうとするならば、こうした混乱は歓迎できるものではありません。極力避けたいところです。
方策としては、すべてを単一ツールにまとめるのではなく、「知的処理」が異なるものは別のツールに置いておく、というのが一番実直的ですが、単一ツールにまとめる場合でも、「この情報は、自分にとってどういう情報なのか」を定期的に意識しておくことは有用でしょう。
言い換えれば「何も考えずに放り込んでおけばOK」という情報ツールはその「何も考えない」という所作において知的生産的問題を発生させる、ということになります。この点が、後者の「手間を省くことを追求するばかりに、手間を掛けることができなくなる」とも関わってきます。
それについては次回検討しましょう。
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数ヶ月間行ったり来りを繰り返していた企画案の「アウトライン」がようやく見定まりました。あとは原稿を書いていくだけです。”指針”があるのはやっぱり安心感がありますね。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中。