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アイデアはログとして記録する



倉下忠憲前回のおさらいです。

着想を豆論文化しておくことは、アイデアを使うためには必要だが、しかし着想の量が多いとそのすべてを豆論文化することはできず、常に「未処理」のものが発生し、それが増え続けていく。その処理を「タスク」としてしまえば、永遠に終わらないタスクを抱え込むことになる。

こういうお話でした。

では、どうするのか。

答えは簡単で、ログにするのです。

タスクにしないように注意を払う

まず、確認しておきましょう。

アイデアを書き出し、それをタスクとして扱うことに無理があるにしても、何も書かないならばそれらの多くは忘却の試練に曝されることになります。書いたものは後から消せますが、書かなかったものを後から呼びだすことができない非対称性を考えれば、なんであれとりあえずそれを書き残しておくことは有効でしょう。

つまり、書き残すにしても、それを「タスク」にしないように(もっと言えば、「タスク」として認識されないように)書き出せばいいのです。

この点はとても大切です。何かが「タスク」であるということは、先駆的に決定されたものではありません。実践者が、その情報を「タスクである」と感じる、あるいは見出すときそれがタスクになるのです。言い換えれば、タスク性を帯びた情報がタスクとなります。

よって、そのタスク性を帯びないように気をつければ、タスクが消化できずにどうしようもない気持ちになる、といった事態は避けられます。

娯楽が苦痛に変わるとき

たとえば、動画の見放題サービスを利用している状況を考えてください。ほとんど無限とも言える選択肢がサービス内にありますが、それに圧倒されることはあっても、それだけでは自己肯定感が傷つけられた「どうしようもない気持ち」になることはないでしょう。

しかし、それらの動画から観たいものをピックアップし、「観たい動画リスト」や「ウォッチリスト」を作りはじめると、途端に状況は変わります。そのリストが2〜3項目しか入っていないならばともかくとして、本当に「観たいもの」すべてをリストアップしはじめると、項目は無限増殖をはじめ、いくら消化してもいっこうに終わらない「タスクリスト」ができあがります。

ここでは、外部的な状況は何も変わっていないことに注意してください。急に動画サービスがラインナップを増やしたわけではないのです。単に、自分ができもしないことを「タスク」として扱うかのように、リストに放り込んだことが問題なのです。

逆にそうした「無理なリスト」を作らなければ、動画サービスは無限のような選択肢を維持しつつも、自分の心が苛まれることは起こりません。目指したいのはそうした状況です。

最近の3つのメモスタイル

さて、ここからは理屈の話ではなく、実体験の話です。

何度も何度も、「アイデア・タスクリスト」という攻略不可能な城塞を築き上げてきた私が、あるときから急に「どうしようもない気持ち」になることがなくなりました。アイデアを書き留めることをやめたわけではありません。単に、保存の仕方を変えただけです。

これまではEvernoteやWorkFlowyに「アイデアノート」のような容れ物を作っておき、そこにどんどん思いついたことを保存していました。その多くは断片的な走り書きで、ひどいときには単語一つだけの書き込みも少なくありませんでした。そうした雑多なものが、「これは後から処理すること」という命令性を持って私に迫ってきます。私はその命令に従うことができず、「どうしようもない気持ち」になったわけです。

しかし、今はそうした気持ちになっていません。おそらく、以下のような形でアイデアを書き留めているからです。

  • 〈今日のノート〉に放り込む
  • 操作できないカードで表示する
  • アイデアノートに書き留める


〈今日のノート〉に放り込む

その日の情報を扱うための道具を〈今日のノート〉と呼ぶとすれば、私は一日一つのテキストファイルを作り、それを〈今日のノート〉として扱っています。主に書いているのは作業記録ですが、思いついたちょっとしたことも合わせて書き込んでいます。アイデアメモです。

そのアイデアメモは、「アイデアメモ」だとわかるように記号が付けられていますが、それ以上の処置はありません。後からこの記号で検索すれば見つけ出せる、くらいの「距離感」です。

このように保存しておくと、保存してあるけれども「どうしようもない気持ち」にはなりません。一日経てば、これらのファイルはすべて目に入らなくなるからです。

記録したものは必要に応じて呼び出せますが、その場合も固定的に作ったリストではなく、一時的なリストの形をとっていて、「タスクリスト」のような私に迫ってくる感覚は生まれません。一時的なリスト(テンポラリーリスト)は、意志を保存していないからなのでしょう。



操作できないカードで表示する

上記のやり方で、保存しつつも私に命令を迫ってこない構図が作れるわけですが、検索しなければ目に入らない問題が出てきます。

そこで、一日の最後に〈今日のノート〉からアイデアメモだけを抜粋し、それをちょこっといじって、カード形式に変換するスクリプトを書いています。

このカードビューは、一日の朝、〈今日のノート〉を作成したときに自動的に表示されるようにしているので、ある日に書いたものは、その次の日にはかならず「復習」できる流れになっているのです。

しかも、このカード形式は、

  • 「箇条書きリストではない」
  • 「縦ではなく横に並んでいる」
  • 「操作ができない」
  • 「完了もできない」

という特徴を有しています。どれをとっても、「タスクリスト」っぽさはありません。むしろ、このページを観るときの私の気持ちは、美術館で絵画を眺めたり、水族館で水槽を移りながら魚を眺めるような気持ちです。「これを処理しなければならない」のような気持ちは起こりません。

しかし、別の気持ちは起こります。どんな気持ちか。メモしたい気持ちです。並んでいる絵画を眺めているうちに、何か思いつくことがあり、それをメモしたくなることがあるかもしれません。それと同じです。そこに並んでいる絵画を、「自分の着想」にすり替えたら、私が上のページを眺めているときと同じ気持ちになるでしょう。書き留めたメモを見て、もう一度何かを考えているのです。

馬鹿みたいな話に思えますが、過去の自分が書いた未完成のメモを、時間が経った今の自分が文章化することは、「押し付けられた作業」のように感じるのです。しかし、メモ絵画を見て、そのとき思いついたことを文章化する作業は、むしろ今の自分の仕事のように感じます。モチベーションが異なるのです。

また、単にモチベーションが異なるだけではありません。明らかにこのやり方では、「最新の私の着想」が生まれています。なにせ、メモについてもう一度考えている(re:think)のです。書き留められるもののクオリティーもこちらの方が高いでしょう。

アイデアノートに書き留める

上記の二つの仕組みで、着想アイデアの大半が扱えるのですが、たとえば歩いているときに思いついたことなどは、いちいち〈今日のノート〉の作業記録ファイルを開いて、そこに書き込むのは面倒なものです。

昔はここで「簡単にメモが保存できるツール」を使っていたのですが、その終着点はEvernoteかWorkFlowyであり、それがそのままアイデアメモ=タスクな環境を促していました。そこで今は、〈今日のノート〉とは異なるテキストファイルに追記するようにしています。

使用しているiOSアプリは1writerで、Dropboxに保存してあるテキストファイルに、連続的に記述していく感覚です。

現在時刻を挿入するスクリプトを設定しているので、時刻入りのメモを取るのはすごく簡単です。また、〈今日のノート〉もテキストファイルであり、このアイデアノートもテキストファイルなので、同じ道のりで検索をかけることもできます。

でもって、これらは現在時刻とセットになっているメモであり、いってみればログ的な情報です。「この時刻に、こういうことを思いついた」という一つの歴史が刻まれているのです。当然、これらを入れ替えたり、「終了」にして消すことはしません。そういう操作を拒むのが、ログ的な情報です。よってこれも、タスク化はしないのです。

もしどこかで使用してもう用無しとなれば、そのときは頭に(済)とでも書き込んでおけば良いでしょう。そういう原始的なやり方で十分間に合う、ということを最近実感しています。

そして、よくよく考えれば、まったく同じようなことを昔はアナログのノートでやっていたのでした。その頃は、たくさん書き込みをしていたものの、「どうしようもない気持ち」になることはありませんでした。おそらくこの当りに、デジタルツールが(便利な反面)抱える問題があるのでしょう。

さいごに

ポイントは、着想の記録を残すにしても、あくまでそれをログとして残すことです。「この日に、この着想を思いついた」という足跡を残すだけに留めるのです。その記録があるだけでもずいぶん違います。

逆に、そうした着想をそのまま(つまり、ダイレクトに)「タスク」として扱えば、破滅のゲームを呼び込むことになります。メンタル的にずいぶん辛いことが起こります。

ログとして記録していくことは、その情報を「流していく」(後ろに押し流していく)ことを意味します。それでいいのです。そうして送り出し、たまに目にして、そこからもう一度何かを考えて、そのときに文章化できればそれで十分です。

そのやり方では、すべてを文章化するという欲望は叶えられません。自分の着想すべてを活かすという欲望も達成できません。しかし、結局のところ私たちを苦しめているのは、その欲望なのです。手法や技量の不足ではなく、すべてを自分の管理下において完全に支配する、という欲望自体がそもそも達成不可能なものなのです。

だから、貪欲に書き留めつつも、その処理については流れるに任せ、ときにその流れを巻き戻す(読み返す)ことで抗う、くらいが「いい感じ」のやり方であるのでしょう。

デジタルノートテイキング連載一覧

▼編集後記:
倉下忠憲




上記の着想メモ管理+Scrapboxで文章化(豆論文化)の仕組みがとてもうまく回っています。これについても何か名前を付けてノウハウ化してみたいものです。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。メルマガ毎週月曜配信中